H22年


1月1日 2010年になっても、未だ混 迷が日本国政府並びに各政党内で続き、将来への展望が見えてこない国民・企業等
は更なる消費抑制へ進む。 それどころか、二極化が進み生活困窮者・自殺者等の増加による社会的退廃も危惧される。今
の経済体制が消費を前提としたものであるため、商品・役務等がある一定以上流れなければ維持できないようになってい
る。価格の決定は市場原理で生産者より販売者が握っており、低価格競争を烈火させているが、消費傾向は落ちている。こ
れがデフレスパイラルや多くの低賃金パート労働者等を生み出し、日本経済の基礎体力を弱らす結果となっている。国内に
は金は有り余っているが、その流れをよくする政策的にうまく機能していない。ごく一部の利権のために偏在して流れている
ためでもあり、利権に群がる人々は政権与党になびき、連立与党であるため個々の維持・メンツのために連立の存亡まで危
くさせて政治・社会体制の混乱を招こうとしている。このように考えると、明るい未来は見えてこない。歴史的にみると、国家
等の完全崩壊による新たな国作りで再生を図ってきたと言う経緯がある。それが終末思想であるが、流血や飢餓・殺戮とい
う過程だけは避けてほしいものだ。

 1月3日 ゆで冷凍蟹脚を正月用にインターネット通販で購入した。以前購入した時は問題なかったのだが、今回は塩辛く
て食べれない状態だった。説明書には塩辛い場合は流水で5〜10分塩抜きしてくださいと記載してあった。しかし、流水でも
塩気は抜け無かった。全くの塩漬け商品であった。商品の加工は海水で煮込むらしく、煮込む時間が長く、殻の中の身の部
分が脱水したように痩せた状態であった。また、市場ではあまり出回らない金時みかんをインターネットで2箱購入したが、
意外と酸味の強いミカンで長期間冷蔵庫に保管でもされていたのか皮表面が堅くなっていてた。箱には「秀」「香川産」等の
表示があったが、出荷日等の表示は無かった。更に、先日も母が新聞広告をみてその遠赤電気ヒーターが欲しいと言わ
れ、いろいろと調べていると広告で期待されるほどの機能無く価格が非常に高いと思われるので、それより安く性能的に優
れて評価の高い代わりの商品を購入した。通信販売の場合は商品を確認できないためにとんでもない商品を購入すること
がある。特に農林水産物に関しては何らかの消費者保護の法的処置と販売者等の評価システムが必要となると思われ
る。

1月6日  ヨルダン滞在記1:
 二十数年前海外青年協力隊でヨルダンのアカバ火力発電所の計装自動制御の技術指導をすることになった。発電所は建
設から試運転、本格運転の段階であった。そのためかいろいろな出来事があったので、5回に分けて載せることとする。ヨル
ダン人技術者の大半は未経験者のため、多くのインド人技術者が雇われ、彼らのサポートをしていた。私はインド人技術者
と同様な仕事をやらされた。当時の制御システムは世界最先端のものであるため、インド人技術者でも未経験の分野が多
く、制御に関する詳細等が未開示のために、インド人運転操作員が操作を誤り緊急停止させて、インド人2人が首となり即刻
帰国させられた。依頼を受け緊急停止の原因の調査・報告をしたのが私で、それ以来一部インド人から恨まれる結果となっ
た。インド人をいるのならば私など不要と思っていたが、いい経験だと思い彼らとの共存を考えながら過ごすこととした。

1月8日 ヨルダン滞在記2:
技術者といっても、エンジニア、テクニッシャンと区別があり、給与と待遇に極端な差があった。私はエンジニア(アラビア語:
ムハンデス)であったため、ヨルダン人同僚のエンジニアと一緒に個室が与えられ、専用電話まであった。テクニッシャンは
10名程度が一部屋でいるが、それを統括する職長が一人いた。両者の違いは大学卒と専門学校卒(3年生)の違いだけだ
った。そのことがテクニッシャン達の不満であった。私の同僚の三カ国語に堪能なエンジニアはマスターだが、技術レベルは
お粗末だった。ヨルダン人技術者のほとんどは熱心なモスリムであるため、お互いのいざこざは無かったが、そのプライドは
高く、日本の武士のような感じであった。そのため同僚のエンジニアはテクニッシャン前で計測器等を知ったかぶりをして壊
すこともあった。しかし、当時のヨルダンは多くものが海外留学等でエンジニア資格をとりながら国内ではなかなか仕事が就
けない状態で、どういう訳かマスターやドクターも多くいた、その点電力庁のエンジニアは優秀な方だった。国策としては電
力を隣国に売る計画だった。

1月10日 ヨルダン滞在記3:
火力発電所建設のコンサルタントはアメリカの企業であったため、建設仕様書は相当な量であったが、私は全てに読んでみ
た。また、ボイラ、タービン、共用設備等は日本・イタリア企業等が請け負い、それぞれが英文の取説等を作成していた。ボ
イラとタービンの制御に関する取説と制御シーケンス等は読んだが、読解できない英文があった。それは日本企業の出した
説明書であったが、日本語をそのまま単語単位で英訳して作成されたものか、難しい名詞単語が多く並べられていた。その
点、米国企業の取説は全体の構成や文章表現が良くできていて解り易かった。これら資料は資料室で管理されていたが、
ある時資料を借りにいったら資料は一冊しかないから貸せないと言われたことがあった。でも、仕様書には図書類は11組提
供されるとあったので、それを仕様書を示しながら言った。その後、日本企業のサイトに行くと資料作成に追われていた。そ
れは本格運転段階にあり、コンサルタントのアメリカ企業は倒産等であったため、トータル管理ができていなかったためでも
ある。

1月12日 ヨルダン滞在記4:
火力発電所は原油焚ボイラー13万Kw発電機2基で、原油はイラク産で硫黄分が多く品質が悪く多くの問題があった。試運
転段階でボイラー作動状態と制御状況との微妙な違和感があったため、現場確認をすると、バーナーの2本が燃焼していな
かった。原油が熱で固まりバーナーを詰まらせたものであった。また、ヨルダンには公害に対する排出規制等は無いため脱
硫装置はなく、SOx濃度計は信じられない値を示していた。その計測器の点検保守のため、アメリカから技術者が来てい
た。そのアメリカ人技術者を誘ってアカバの飲食店でアラブ料理とビールを楽しみながら、東部出身で陸軍あがりの彼といろ
いろな話をした。また、インド人も発電所以外にも多くいて、アラビア語学校で知り合ったインド人達とよく酒を飲んでいたが、
彼らがおごってくれた。フィリピン人も看護婦・トラック運転手等で多くいたが、彼らにどういう訳か私が同国人と思われてい
た。裕福なヨルダン人の家にはスリランカ人のメイドも多く雇われていた。私のいたアカバにはいろいろな外国人がいたが、
冬場の避寒地としてヨーロッパ人(ドイル人等)が観光に多く来ていた。あのアラビアのローレンスの撮影現場となったところ
である。アカバの海岸からイスラエルのエラットの街並みがよく見えていた。

1月14日 ヨルダン滞在記5:
私の所属していた計装自動制御部門にはボイラ制御、タービン制御、コンピューターの3つのグループがありそれそれにエ
ンジニアが1人いて、それを統括するヘッドエンジニアがいた。彼はヨルダン人であるが、アメリカの大学を出ており、風貌は
アインシュタインのようであったが年齢は不明だった。彼はよく私のデスクに電話をかけてきてあれこれと仕事をいってきた。
発電所の本格運転後に初めての定検を1週間後するといってきたことがあった。彼は経験が少ないのか、定検の意味がよく
解っていなかった。建設企業等からの資料・スペアパーツ・工具・測定機材の引き継ぎも満足にされていないし、定検の全
体的なスケジュールもなかった。彼にいろいろな問題点を指摘したら、結局定検は1ヶ月以上先に延びってしまった。定検時
には私は日本に帰っていたため、他の発電所にいたJACAの専門家が応援に来ることとなった。その専門家に計装自動制
御の技術分野が弱いのでヨルダン電力庁は私の派遣先をアカバ発電所の計装自動制御部門に決めた旨のことを言った。
当初の派遣予定先が配電・送電関係の部署であった。主役はヨルダン人である技術者だからなるべく表に出ないようにして
いたが、結局不完全燃焼の派遣であったが、脇役でもりたてに徹する方が私には合っていると思うようになった。

1月15日 安全衛生関係の技能講習を受講した。受講理由は心臓弁膜症手術後の体力回復の度合いを確認するのと、免
許等は数多く持っているが、技能講習修了に関しては何も持っていなかったためである。今から20年ほど前に冷凍設備の
設計・施工をしていた時は冷媒の銅配管のロウ付けにアセチレンガス等を用いていたが、全くガスに関する技能講習を受け
ずにいたため心残りになっていた。講習は2日間で作業の安全に関する知識の講義と実際のガス溶接と切断の実習であっ
た。十数年前に原子力発電所で放射線管理をおこなっていた頃を思い出した。原子力発電所内で作業等する者は通常の
安全教育と放射線防護教育等を受講する必要があった。私は業務上防護教育の講師もやっていた。その講習も2日間で、
実技訓練室での実習等であった。原発における放射線による事故等は皆無に等しいが、可燃性ガス等の危険物による危
険性は私の日常の多く潜んでいるおり、今回のガス溶接技能講習を通じて改めて再認識する結果となった。定期的に危機
管理についていろいろな面から具体的に考える必要があると思った。

1月22日 日本の社会制度の中でもっとも複雑怪奇なのは年金である。年金は老後・障害・死亡に対して給付されるのであ
るが、多くの制度と度重なる制度改正により解りにくくなっている。年金制度が充実して大きく飛躍した頃は日本経済の躍進
時期にあり、医療制度の充実により平均寿命もこれほど延びると予想されていなかったため、減速経済化では破綻の兆し
が見え始めた。年金の給付も経済情勢に合わせた変更と平成15年4月からの納付保険料に対する年金給付率も総報酬制
を導入することによって下がってしまった。しかし、納付した保険料総額から考えると一生涯に給付される年金額は極端に多
い。それも年金保険料を納めてくれる世代があるからであるが、その世代に対しても少子化によって更なる多くの負担を強
いる結果となる。生活不安のない社会の構築が今の政府の課題だと言えるが、年金にかかる予算は莫大であるため、官
僚・関係職員等による資金の不正運用等が問題となった。これも不透明な行政事業運営の結果で歴史の流れの中では必
然的な結果であった。税金等の公的資金の運用に関しては常に説明責任ができるように行政事業の運営をしてもらいたい
ものだ。

1月28日 小学生の頃から図書が好きでよく通っていた。いろいろな本に巡り会ったが、中学生の時シルヴァ−ノ・アリエティ
の精神分裂病に関する本に出会って今までの考え方を大きく変えることとなった。それは結果(症状)には必ず原因があり
その過程を分析していくことによって治療等に活かすもので、科学の発展と人の精神活動の関係に大変興味を抱くことにな
った。また、雑誌「現代のエスプリ」等を学生の時から10年近く愛読することにもなり、社会集団の有する精神活動のようなも
のにも関心を抱くようにもなった。その頃、読む論文すべてが自分の意識の中で消化され面白く感じられた。しかし、食べて
いくために技術者への道を選んだため、数年心理学から離れて再度読むと以前のような感覚がなくなって興味が失せてしま
っていた。でも、それらの心理学から歴史的必然性という考え方を得たことは今でも心の指針の一つとして有益なものとなっ
ている。

2月1日 最近2回数秒程度の停電が起こり、その時パソコンを使っていた。最近のパソコンは以前と比べある程度のバック
アップ機能があるが、そのことによる時間的ロストと精神的ダメージは大きい。電力供給は独占企業ともいえる電力会社が
行っており、ある意味 国策事業であるが、その実態は国の外部団体より始末が悪い。今はないと思うが、発電所等の電力
施設建設・保守点検に関して電力社員等の建設関係会社等へのたかりが多くあった。それは電力会社が民間会社だから
問題にならなかったのだが、建設費用等や電気税等のカラクリで無尽蔵に使えた資金があったためである。電力関係への
官僚等の天下りもあり、ある意味、電力会社の機構は官僚等の資金源でもある。電力安定供給等のに大きく関わっている
のは電力会社等の職員と言うより、発電所等の電力施設の建設・保守管理等に関わったきた電力会社以外の技術者達に
よる功績が大きいと思っている。しかし、電力会社等の有する社会的使命を大きい、その使命をその安定した地位等に甘え
ずにやり遂げて欲しいものだ。

2月8日 パソコンを使い始めて30年近く経つが、その発展には驚かされ、価格も安価となり寄り身近な存在となった。地デ
ジテレビもパソコン上で見ることが多くなり、ショッピングもより安い商品を求めて、ネット上でのウインドショッピングをして楽
しんでいる。ネット社会が浸透して新しい価値観が形成されている。携帯電話の活用もそのひとつであり、価値観の多様化
と選択の容易化により、いろいろな購買層を生み出している。情報の入手と活用でより賢く生活をエンジョイしているのが現
状で、ネット上での掲示板での書き込みもその一つである。人と人のつながりが直接的な対面より間接的なネット上でのつ
ながりでのコミュニケーションが主流となった。学校等の教育もネット上でも可能となり、人によっては講義を聞きながらネット
上での情報等でより深く興味のある点を検索して理解を深めることも可能である。しかし、そこには人の持つ心理的な学習
が自己中心的な欲求でなおざりになる可能性が大である。人類はその進化の過程で集団として協力して子孫を残し進化し
てきた。そこには直接的対面的なつながりが生きていくために最も大切なものであったことを忘れてはならない。

2月11日 海外協力隊との関係で面識のあったNGO団体へのボランティアをすることにした。その団体はカンボジアへの教
育施設等の建設等を通して貧困に喘ぐ人達に技術t等を身につけさせて自立できるようにすることで社会貢献を行うもので、
JOCAの政府主導のボランティア活動より素晴らしいと思う。善意の人々により寄付等で集めた品をショップ等で販売したり
イベント事業等を行って収益をあげて事業を運営している。その事業には多くの無償ボランティアが関わっているが、事業を
行っている専任スタッフには事業収益と支援費・経費等の差額から報酬等を得るため、その活動時間・業務内容から考える
と最低賃金にも満たないかもしれない。そのような現状の中で社会保険労務士・行政書士等としての専門性を活かしてNGO
団体の事業運営への無償協力を行うことにした。先ず、彼らの社会的保障を充実させて将来に対する生活の安定に貢献す
ることにした。そして、彼らの事業の益々の発展とボランティア活動が社会的に認識され、日本人に自発的な国際協力・強
調性が生まれるきっかけになることを望むことにした。

2月21日 価格の安さにつられて10インチ画面のネット用パソコンを購入した。それに伴い無線LANの構築を行ったが,トータ
ルで3万円もかからなかった。ウイルス・セキュリティー対策としてはマイクロソフト社が提供している無料ソフトを利用した。
使ってみて快適で携帯用パソコンとしても十分に使用できる。本当に安く購入できるが、インターネット通信に毎月4千円余
りかかっている。携帯電話の通信料も同様な額である。これら固定費が安くならないかと考えるが、現状ではいい考えが浮
かばない。毎月必要な固定費を年間に置き替えると相当な額になる。私がたばこを止めた理由の一つが年間の金額だっ
た。その金を書籍購入費に費やすことにしたのだ。一ヶ月1万円余りの費用で購入できる書籍は相当な量になり、これまで
相当な量の本を読んできたことになる。でも、インターネットの普及に伴い、必要な情報がインターネット上で入手できるよう
になったため図書の購入は資格取得関係の図書だけになってしまった。その代わりがインターネット等への通信費に置き換
わった。更に必要な図書は本屋でも立ち読みと図書館の利用になってしまった。

2月27日 社会保険労務士会の中四国地区の研修に参加した。その中に「経営労務監査手法について」というのがあっ
た。会計士等がおこなう企業会計監査のような手法を労務監査として行おうとするものである。それは監査というより診断と
いったもので、法令等遵守と事業運営における人材の効率的な運用等を診断するもので、会計学の視点と違って企業内部
での法務・経営診断のようなものである。企業全体としての内部統制の指標として、それらは財務諸表等と共に投資家等に
はいい指標となると思う。会計学では企業評価の一つにのれんがあるが、そののれんも国によっては会計上の処理も異な
りコスト認識でしかない。投資家中心の財務評価が行われているが、企業体の有する人的資源(講師は人的資本と称して
いたが)を有効に評価して、利益を生み出す資産としての評価も必要である。それは企業の社会的責任を示し、従業員等の
積極的な企業運営への参加をもたらし、更には企業の地域貢献への重要な指標にもなると思う。

3月8日 先日2級年金アドバイザーの銀行業務検定試験を受験した。試験は社労士試験と違って記述式で共済年金やDC
とかの細かなところも出題され、より実務的な内容だった。気になるのは年金額の計算の平均標準報酬額・月額が意外と
高いことだった。一流企業の例だろうと思うが一般的な人々はそれほどまではいかないと思っている。高松で受験したが、
受験者は思っていたより多くいた。昨年の資料だが受験者の8割は銀行関係者以外であったのは残念である。銀行での年
金相談が2級アドバイザー試験合格者レベルの行員等が行ってくれればいいとおもうが、現実は解らない。また、年金並び
に社会保障制度は自営業者より会社員等方に優位にできるため、何とかならないかと思う。産業活性化のため、起業等を
優位に進めるためには社会保障の公平な充実が必要である。試験の帰りにあるボランティア法人の事務局に寄り、法人の
規程等についての説明等を行ったが、予算等の都合で専任職員の報酬並びに社会保障が十分できない点に大きな矛盾を
感じた。

3月14日 先日、バージョンアップしたワープロソフト一太郎等を購入した。一太郎とはもう20年の付き合いとなり、欠かせな
いソフトとなった。それに伴い日本語入力システムATOKも格段と良くなった。その反面、それらに頼るために漢字を正確に
書けなくなり、字も下手になってしまった。日本語もハングルや欧米言語のように発音のみの表記の方がいいようにも思える
が、日本独自の文化を守っていくには現状ままでパソコンなどの電子機器をうまく使っていくしかないかもしれない。文字を
視覚的にとらえるより、音やリズムのようにとらえる方が日常的になってきている。それはマスメディアの影響でもあるが、人
類の発達の過程においては文字文化の歴史は浅い。生活に密着した言葉は共通した発声が多く、観念的な表現は文字化
されて、それぞれの文化圏で独自の表現(発音)で表されている。そこにはその言語の持つ歴史が見えてくる。そのような
点に関しては以前イギリスに行った時購入したケンブリッジの英語百科事典をみて、英語額の視点から面白くまた興味深く
感じている。

3月21日 先日、社会保険労務士会の講演会に参加した。講師は弁護士で法学部教授だった。90分余りの時間だったが充
実していた。社労士制度は日本独自の制度のため、その先生の研究対象となっているようだ。講演と言っても参加者名簿を
みていろいろと質問をしていく形式で大学のゼミのような感じを受けた。その議論が法律論を主に置いているためか、法律用
語における言葉遊びのようでもあった。でも、行政等への手続業務が主である社労士にとっては労務管理という面で違った
一面を知って良かったと言える。司法制度改革の流れの中で、極限られた範囲であるが、個別労働紛争に関与できるように
なってきて法律論を真剣に身につける必要がある。それには今の試験制度を大幅に変える必要があるが、社労士の大学院
等での専門教育制度の充実や法科大学院修了者が社労士になってもいいという魅力ある社労士制度作りも必要である。そ
れにしても基礎的な法律が解っていない社労士も多いし、年金の専門家といえる社労士も少ないの現状である。

3月27日 政府の出している白書はインターネットで簡単に入手できるので読んでみると面白い。中小企業白書もその一つ
である。一昨年の内外経済の動向や中小企業の動向がある程度読み取れる。白書には「中小企業が売上の維持・拡大を
図っていくためには、イノベーションを通じて競争力のある製品・サービスを生み出していくことが不可欠である。」とあり、「成
長産業をはじめ、起業活動を活発化させるためには、ベンチャーキャピタル等が研究開発活動のための資金をベンチャー企
業に対して積極的に供給することが必要である。」ともある。適切な競争と資金供給が必要であるが、それには経営者が方
針策定から現場での創意工夫までリーダーシップをとって取り組み、日常生活でひらめいたアイディアの商品化や現場での
創意工夫による生産工程の改善など、継続的な研究開発活動以外の創意工夫等がニッチ市場におけるイノベーションの活
力となっているとある。経営者と従業員と一体となって企業活力を発揮するためには経営者の強いリーダーシップも必要で
あし、企業全体としてきめ細かく迅速で独創的な対応を発揮することが生き残るため必要なことと言える。

4月3日 先日、行政書士会の活動の一環である行政書士による市民相談で相談員として半日高松市役所相談コーナーで
相談にあたった。相談の内容としては相続関係が最も多い。切羽詰まった相談も多く、相談される相手から正確な状況を聞
き、何に関して相談して欲しいかを見極めるのが意外と難しい。また、相談の中でいろいろと問題点が浮かんでくるがそれを
どの程度まで相談者に言えばいいのかも迷うこともある。例えば、保険・社会保障関係の場合、どうしても社会保険労務士
としての使命感があり、相談の中で言っておく必要があるからである。相談にこられる方は問題等の解決のためにこられる
が、相談の時点はその一時的なところで、問題解決の過程でその時に応じた適切なアドバイスが必要な場合が多いからで
ある。そのような点では、結論から解決をしようとする今の訴訟制度とは少し趣がちがう。訴訟の場合訴えの趣旨を正当付
けるために法的根拠と事実認定を行い法令とおりに行っているが、私はどうもすっきりしない。法令の言葉だけの解釈等で
審理がなされ、紛争当事者の真意があまり反映されていない場合が多くあると思っている。

4月11日 平成22年度に入り、景気回復への兆しが見えてこない。世界的に発展途上国等の回復の方が目覚ましく、世界
市場価格上昇が出始めている。雇用等の安定を望む多くの若者等は優等生らしく見せようとして活気がなくなってきてい
る。ハングリー精神が欠如しているのも確かで、そのことが日本の社会・経済を低迷している一因でもある。政府の巨額な
支出でも景気回復への効果は少なく、各種公共料金等の値上げが消費を萎縮している。日本人の保有する総預貯金等の
資産は巨額で政府・公共団体等の抱える赤字額をカバーしている。戦前戦後、高度成長時代を通じて国策に翻弄されてき
た日本国民は貯蓄等を当たり前のように行ってきためだが、最近その貯蓄等ができないばかりか、充分な収入確保もでき
ずに生活保護等に頼る人々も増加している。また、明るい希望もなく、生きていることの意味・意義も感じなくなって、精神的
に病んでいる人々も年齢を問わず多くなっている。社会生活の中での精神的な孤立が増え、お互い頼って支え合うという風
土がなくなっているのも事実である。

4月16日 インターネットによる通信販売で品物を購入する機会が増えた。理由は、安い、品揃えが豊富、注文後入手まで
の時間が比較的短い、支払がクレジット等で簡単等である。医療用聴診器を送料込みで二千円足らずで購入した。目的は
心音を聞きたかったためで、手術前の検査で聞かされた僧帽弁からの逆流音が術後どのようになっているかを確かめるた
めである。送られてきた聴診器を胸の僧帽弁近くに押し当てみるとドックンという力強い音がして弁の役割を果たしているこ
とが解った。押し当てる位置を変えて見ると若干逆流しているような心音がする。聴診器の押し当てる場所を変えるとまた違
った心音がして、それぞれの弁に関する音がする。心臓の次は肺内部の空気の流れる音でも聞こうかと思うが、インターネ
ット上でそのあたりの情報も入手してからと思う。心音に関してはいろいろな症状等に関しての心音が聞けるサイトもあり便
利になった。聴診器での診察で解ることは多くあるとあるサイトに書いてあった。内科系のクリニック等で聴診器を使わずに
診察する医師もいるが、患者への安心感をもたらす意味でも必要な限り聴診器等を使った五感での診察にも熟練して欲しい
と思う。

4月24日 もうすぐ五月の連休が始まるが、前職が競艇場の電気主任技術者であったため、五月の連休は取れなっかた
が、平日にまとまった休みが取れた。そのためか、安い料金で海外旅行を何度か楽しんだ。でも、リフレッシュとまではいか
なかった。20年前ヨルダンにいた時、ヨルダン人は1年に1回30日の休暇を誰もが取っていた。彼らはリフレッシュするため
にその期間を有意義に過ごしているようだった。私も赴任してから1年後に30日の休暇をもらって、ヨルダン、シリア、トル
コ、ギリシャと旅行を楽しんだ。時期が4月頃であったため、ギリシャでイースターにであった。それの後にヨルダンではラマ
ダンにであった。宗教的な行事であるが、最初は戸惑ったが、熱心な宗教心が独特な暖かみを醸し出していた。感謝の気
持ちと神への祈りが、挨拶の言葉にもなっている。アラビア語ではセラマリクンとかセラムと言っていた。私の住んでいたア
パートの近くにはモスクがあり、毎日モスクからのコーランが聞こえてきた。いまでも当時よく食べたホンモス(ひよこ豆料理)
とホブス(パン)が懐かしく思っている。

5月5日 沖縄の米軍基地移転問題で鳩山政権もすっかり信頼を失ってしまった。歴史的な経緯の中で武力は国力の象徴
でもあったが、いまでは複雑な国際事情と軍需産業のためか、ビジネスモデルの一つになってしまった。外交も同様で、あ
る意味、ビジネス戦略としてとらえた方がすっきりする場合が多い。、急激な経済発展による経営戦略等で伝統的な文化や
伝統が失われつつあるのは確かである。しかし、環境に敏感な若者達が新たな文化を生み出し、その中にはコミック漫画や
ファッション等若者文化で世界的な文化の発信となったものも多くある。それらは言語を超え、若者達のみならず多くの人々
に浸透している。自己表現の手段でもあり、抑圧された生活環境の中で心安まるものの一つである。沖縄にはエイサーと呼
ばれる伝統文化があり、祖先の霊を送迎しながら歌と囃子に合わせ、踊りながら道を練り歩くもので、見ていると一緒に踊り
たくなる。共に参加して楽しいもので共通の連帯感も得られるものが文化であり、それを求めるのが人として正常な心理で
ある。平穏な心の安定を脅かすものは誰しも望みはしないものである。

5月15日 消費税を10%台に法人税を25%程度にして国際的な協調性を図ろうとしている。企業の競争力を強めるためには
利益からの設備投資等を有利にして、雇用の増進等を図る目的では理にはかなう。しかし、国内消費の面からはデフレ傾
向が更に強くなる。税金の無駄遣いを抑制してその余剰資金を福祉予算等に回すという方針も既得権化した官僚組織等に
は通用しなったみたいだ。日本独特の政治・行政体制が急激な体制の変革を望まないでいる。それは国民に政治への無関
心に導いてきた国等の姿勢が感じられる。一体何が問題でどうすればいいのかを明確にしないで、税金等を流していれば
何とかなるという政策は終わりにして欲しい。国等の借金は増加して財政破綻になるのは明らかである。雇用不安の中で
大手企業の黒字決算だけが目につくが、海外の人々に比べ野心が少なく、こぢんまりとした日本の若者が増えたのも不安
材料の一つである。日本国内だけではなく国際的な視野を持って夢と野望を持って渡り合って欲しいものだ。

5月22日 弁膜症手術後何回も胸部X線撮影を行ったが、その画像が異なることがある。それは撮影の目的に因るものだ。
胸部の痛みに対する撮影画像には胸骨を固定している6カ所のワイヤーがはっきりと確認できたが、それまでのものはその
ワイヤーすら確認できないものだった。それは撮影後の画像処理によるものだが、フイルムを薬品処理によって白黒の濃淡
を処理していた頃に比べ、パソコンでのソフト処理によってより細かく目的に合わせて処理できる結果である。技術の進歩に
より手段が多様化した結果でもある。技術は過去の積み重ねによって日々進歩しているが、継続的な発展と言うよりある時
点で飛躍的に発展することも多い。生命体の進化も同様なことが言えるかもしれない。生命体を構成する細胞は絶えず再生
を繰り返して生命を維持している。その過程で多くのことを記憶して進化を続けている。ただ、そのことを意識しないと気がつ
かないだけかもしれない。

5月30日 まだ体調が良くなく、少し無理をすると動悸と疲れが体を襲う。散歩にも行かなくなったせいか、肩も凝るようにな
った。先日、レンタルDVDが旧作80円という安さでシリーズものを大量に借り見てしまった。終わりを迎えないテレビドラマの
ストリーに引き込まれてしまった。人の人生も同様で終末が解らないので波瀾万丈である。心身の疲れから後数年で終わ
り でも迎えれればいいと思える時が何回かあった。楽しく生きていくって結構難しいもので、手術後のなかなか取れない痛
み を楽しい思いで忘れたらいいと言っていた医師がいたが、将来への楽しい思いと言うより過去を振り返っての現実が悲観
的 させる場合が多い。母も80を過ぎ体調が良くなく、横になり良くテレビを見ている。初期の認知症か、過去の辛い思い出
で他 人に言葉での八つ当たりすることが多くなり、テレビ等の通販で使わない商品を衝動的に購入することも多くなった。不
安定 な精神状態を平静にすることは難しくなったみたいだ。私も同様になるかもしれないという不安に襲われる。まだ終わり
の見 えない人生をテレビドラマのようにわくわくした気持ちで迎えることはもはやできないが、惚ける前に何とかして見つけ
なけれ ばならない。

6月7日 企業・国民は予期せぬ社会・経済情勢の環境変化に対応して日本国を支えてきた。それに比べ役所というのは前
例主義が原則なのか、予期せぬことには対処不能である。それは責任を所在の問題で、法令等の決まり事に従っておこな
うので、決まっていないことはできないということである。そのことが公務員は仕事をしないと批判を受ける一要因でもある。
国際的にも緊迫した情勢の中で、政府等の行政の役割は大変に大きい。そのため行政機関が大きく変わるためには強い
信念と情熱を持った政府が必要なのかと思う時がある。しかし、民主党政権になって、官僚主導の行政が大きく変わると期
待したがそうではなかった。でも、良かったのは、事業仕分け(行政革新会議)で官僚制度の持つ多くの問題の一つが明か
されたのは有意義であった。問題点を常に解決しながら前向きに進んでいく必要がある。複雑化・高度化された国際情勢
は 常に変化して多くの利害関係と問題を作り出しいるからである。物質的価値より知的価値が重視され、精神的な不安
要 素も価値を決める要因になったためである。

6月13日 先日報道番組で建設国保の無資格加入問題が取り上げられいた。建設国保等は市町村が運営している国保に
比べ保険料が一律の場合が多く、高所得者の保険料負担が低く、給付内容が手厚いのを知った。その背景には国からの
補助金の存在があり、選挙からみのグレーな問題も多い。その制度そのものは大変有意義なものであるが、その実施主体
がある種の裏金つくりのために制度の悪用をしたケースでもある。解体された社会保険庁もいい例である。健康保険料・年
金保険料として徴収された多額の金の運用方法に関して現行の制度は適切に運用されているかの保証はないし、税金も
同様である。そのためには情報開示が必要であるが、今の制度ではそれが有効に発揮されていない。建前ばっかりが全
面 に押し出され、本音の部分が出ていない。日本人の特徴の悪い部分が出ているのだ。臭いものに蓋をするだでは根本的
な 解決にならない。強大化した国・地方公共団体の借金を解消していく手段も経済の活性化と共に抜本的に考えていく必
要 がある。

6月16日 先日NPO法人の主催で福祉を楽しく語る会が催された。NPO法人の主催と言っても障害児・者を持つ一人の女性
の段取りで行われ、障害者や障害児・者を持つ母親達・行政関係者等が二十数名集まって、障害児・者に対する行政の今
までの流れと障害児・者が持つ親たちの苦労等が話し合われた。お互いの苦労・体験談等を話し合うことで共通の輪と連
帯 が生まれたようである。親たちの持つ心配は親たちがいなくなった後の障害者達のサポートがどうなるかということであ
る。 一般就労と障害者就労ではその待遇と賃金等には大きな差があることも知らされた。障害者で働き口があるだけでも
まだ いい方だとも言っていた。また、障害児の場合、養護学校で教育を受けるのがいいのか、通常の学校で教育を受ける
のがいいのかの点についても意見が交わされた。障害者といっても一般社会の中で生活していくには、障害者も健常者もお
互い知って理解する必要がある点も強調された。そのような観点から区別する施策は良くないとの意見も多い。会は2時間
余りに渡って行われた。その全て録音してあるので、内容を整理して逐次載せていくきたい。

6月28日 先日国際協力の公益社団法人の総会とカンボジア医師の講演会に参加した。その公益法人も発足時のNPOか
ら15年も経過して、一般社団法人を経て公益社団法人となった。その業績は素晴らしいものがある。私が昔海外青年協力
隊で海外ボランティアと比べると本当に頭の下がる。その団体は善意の寄付によって集められた品等をチャリティショップで
販売して得た金を開発途上国での教育施設・システム等に費やしている。国内での多くの作業は善意の多くのボランティア
に支えられているが、それを支える専業スタッフは僅かばかりの報酬で頑張っている。つい最近まで国民年金・国民健康保
険であったが、厚生年金・健康保険に加入したため、団体負担増加のため少し報酬を減らすことになった。多くの公務員にも
そのことを解って欲しいが、彼らにとって税金は当たり前に入り、使えるもの認識しかないようだ。公務員としての使命と責任
感のない人達には長期間無報酬でボランティア活動を経験して欲しいものだ。食費・交通費等も実費で、そうすれば税金と
その有意義な使われ方について少しは考えるようになるかもしれない。 

6月30日 昨年の心臓病手術から9か月が経過したが、相変わらず体調が良くない。それに胸部の痛みが加わるため、集中
力に欠けるようになった。健康のありがたさを痛切に感じる。加齢と病気により、判断力と記憶力が低下するが、何とかした
いという想いだけが先走り短気になる。私の母も80を過ぎ、多くの持病を持ち心臓もわるいのか体全体がむくんでいる。そ
れ に認知症初期か、気に入らないことや都合のことが起きると怒り出す。もともと自己主張の激しく思い込みが強いため自
分 の都合のいいように解釈する。そのため、都合の悪いことは父のせいにされてしまう。長年連れ添ってきた配偶者なのに
何 の感謝の気持ちもないのかと思うが、父の方はそれが当たり前のように母と接している。相手を思いやる気持ちが大切
であ る。孤独で人生を終えるというのは本当に寂しいことである。認知症等の精神障害を患っている人達にはそのようなこ
とは理 解できないかも知れないが、温和で子供のような状態になる時があり、にっこりと微笑む顔を見せると嬉しくなる。

7月7日  5年ぶりに労働局が実施する労働保険の受付事務に5日間従事した。目的は心臓病の回復度をみるために負荷
をかけて様子を見ることにあった。最初の方はエアコンからの冷たい風と緊張によるストレスのため体調が良くなかったが、
最後の日に関してはストレスも感じられなく順調だった。労働保険料は税金と異なり集められた保険料の使い道が決まって
いるので少しは安心できる。労働保険の申告書類受理する際に、税理士さんに書いてもらったという事業主も多くいた。社
労士離れが進んでいるのが解る。申請書作成と言っても賃金台帳等を確実に作成していれば申告のための集計表作成も
簡単に作成できるためである。しかし、確実にするためには総勘定元帳等の経理帳簿から確認する必要があるので通常の
社労士は難しくそのような点では税理士の方が有利と言える。労働保険と社会保険の申告も同時期にされるようになった。
更に徴収事務に係る法人税・所得税等の申告も一元化されると手間が省ける思うのは私だけだろうか?縦割行政の弊害
で 余りにも多くの士業団体を作ってしまった弊害が出てきている。

7月13日 先日の参議院選挙で与党の民主党が敗北して、ねじれ国会状態になってしまった。敗北するのは選挙前の総理
の不用意な発言と民主党執行部の不甲斐なさで明白であった。当初のマニフェストの通り実行しようとする一貫性がなく、
国民からの信頼を失ったためでもある。このような状態では公務員改革等も遠のいてしまった。さらに海外からは外交を結
ん でもそれを実行できないと扱われ、一人前の国家として扱われない状態になる可能性が強くなった。停滞した経済状態を
回復するにしても、世界的な協調体制の実施が不可欠だが、世界金融市場等での日本の立場が弱くなったと言える。本来
日本は政府主導の経済施策で戦後の経済成長を築いてきた。数度の世界的な経済恐慌で、価値観の多様化と新興国の
躍 進で経済体制が大きく変わり新しい国家体制が求められてきた。そのような中でも民主党政権への期待だったが、やっ
ぱ り、何も新しいことを期待できないという国民の意見でもあった。坂の上の雲や坂本龍馬のドラマが好まれるのはそれだ
け 現在ヒーローと言える大物がいなくなったためかもしれない。無難な人生を望む風潮が日本人を小粒にしてしまったみた
い た。

7月16日  金を稼ぐことは簡単に見えて難しい。投資をせずにビジネスを成功させることは難しく、そのビジネスも世の中の
変化に応じて常に計画の変更と更なる投資の必要があり、最終的には如何に付加価値をつけていくかに尽きる。この場合
の付加価値とは商品価値を増やすか、原価を下げるというもので、マスコミ等でのサブリミナル効果による価値観操作や合
化・省略化などがおこなわれている。膨大な情報や緊張を伴う瞬時的な判断が必要なため、多くの人は様々な精神的なスト
レスを抱える結果となった。納得や理解をしないで多くのことを処理するため、ゲーム感覚でおこなうことが日常化している。
パソコン上の数値で社会・経済環境の変化をゲーム理論が主流の経済学をベースに判断して、数値結果だけを求めるよう
になった。そこにはそのゲームの主人公である人の価値はなおざりにされつつある。人を養育・教育していくことも金と時間
がかかるということで、その重要性も人の心情も歪められてきている。短気で感情的になる人も、無感情で本能的行動する
人も多く見受けられるようになった。

7月25日 蒸し暑い日々が続いている。私の家の周りには木々が多いためか、早朝から蝉の鳴き声が響いている。地球温
暖化による地球全体的に気圧配置が変化して今年の夏は例年になく暑い。昨年の心臓病の手術後に担当医が水分摂取
は一日800ccまでと言っていたが、この暑さでは水分摂取量が2リッターになっている。毎日のんでいる利尿剤は効かなく、
その多くは汗になっている。手術によって傷ついた心臓は既に直っていると思うが以前のように思い切ったことができなくな
った。そういう中で軽い気持ちで中型運転免許をとろうと自動車学校に行った。教習車といっても長さが9m・幅2.3mもあるバ
スで、教習所内のコースを走らすのは意外と爽快であるが、やるべきことは多く、安全確認も含めると気を抜けない。これだ
ったらトラックの方が良かったかなと後悔したがこれも自分を見直すいい機会と考えている。手術後のリハビリも兼ねて今ま
で体験したことのないことにチャレンジして己の限界を知り、常に前向きに進んでいくことが大切だと思っている。でも、この
暑さも何かに集中していると忘れてしまっている。

7月31日 インターネットなどの通信ネットワークの発展で情報が自由に入手できるようになった。海外の情報もリアルに入
手でき、液晶ディスプレイとサウンドで臨場感のある体験ができるようになった。実体験より疑似体験が多くなったためか、社
会との関わりが希薄になってきている。人のためより自己の満足のために行動している人も多くなった。そのためか、マニュ
アル的に対応する企業人も多くなった。現状を第三者的に把握・納得して分析し、対応しようとする人も減ってきた。そこには
他人は人ではない物のような感覚で対応する人も多くなった。単に金銭を得るための仕事中で道具のような感覚での扱い
が多く見受けられる。その方が精神的なストレスが少ないかもしれない。人として見ようとする場合、心の中でバカだとかア
ホだとかと軽蔑しているのも多く見受けられる。そのことは今に始まったことではないが、教育のあり方が大きく問題してい
る。人を育てるには技術やノウハウだけでなく、人としてのあり方と感謝の気持ちも教えていく必要があると言える。 

8月8日 猛暑が続き外出するのも億劫になる。夕方雲が出てきて夕涼みに出かけたが、夕立で一時的な豪雨でビッショ濡
れになってしまった。心臓の方は相変わらず良くない。ストレスを多くすると、胸部の鈍い痛みが増す。健康だったときにはそ
のようなことは思ったことがなかったが、老いて人とのつながりが希薄になってくると寂しくなる。経済発展によって人々の流
動性が加速化して、地域性は単なる行政区分としての認識でしかなくなった。そのような中で地域の特徴とアイデンティティ
をアピールするために地域の活性化を推し進めるが経済の活性がメインである。地方文化の継承と言っても実生活から離れ
てきているため、その地域にいるための役割を演じている場合も多い。マスメディアの進展と生活スタイルの変化により、演
じる役割が非常に多くなったみたいである。多重人格化は現在社会では避けられない。頑固に自己主張をしているように見
えてもマスメディアからの影響は大きく、精神的安定をすり込まれた仮想に求めることが多くなっている。自分探しにいろいろ
なところへ行っても、なかなか心安まることは少ない。

8月16日 世界経済の不安定の影響で投資マネーがまだ安定な円を買う傾向が強まっている。中国元が為替市場で自由
に売り買いできるようになれば、円より元が投資の対象とされるといえる。元の自由化が望まれるところだが、中国政府の
思惑と欧米との力関係で後十年はないと思われる。日本の経済成長は成熟期から衰退期に移行しているためか、成長期
の蓄えを消費している。少子高齢化による医療費・年金等の厚生福祉費の増大で日本政府・地方公共団体の財政危機は
加速化して欧州の抱えている財政破綻より深刻な状況になるといえる。このような中で隣国中国との関係は重要な意味を
持っている。中国と日本との相違は国家体制・経済体制・言葉等であるが、文化の違いはマスメディアの進展により少なくな
ってきている。そのような意味で各国間の壁はなくなってきている。後は言葉の壁と為替市場の壁がなくなればいいが、こ
れもビジネスベースで対応すれば何とかなると言える。日本国内の安定している就職より夢をもって海外に成功のチャンス
を求めていくチャレンジ精神が必要だと言える。

8月24日 先週 母が体の不調を訴えるので近くの病院に検査入院することになった。入院診療計画書が病院から出され、
その病名には、甲状腺機能低下、高血圧、パニック障害とあった。腹部CT検査も実施することになっていた。母が医師から
水が溜まっていると言っているのを聞いて、腹水かと心配であったが、甲状腺機能低下による心膜腔に水が溜まるものだっ
た。病院から処方されている薬には利尿剤があったのだが、最近どうも服用していなかったようだ。でも、処方された薬の種
類は多く、パニック障害と診断しているためか、抗うつ剤のデプロメール25が朝昼夕と処方されいた。最近母は昼間よく寝て
いたが、夜寝れなくなるのか睡眠薬も処方されていた。処方されている薬を見ていると、何らかの症状に対する対処薬ばっ
かりで根本的な病状を改善するものではないようだ。それにしても処方される薬の多さにはびっくりされる。甲状腺機能低下
による甲状腺ホルモン投与のためか、よく体が燃えるようになると言っていたことがあるが、精神的に不安定にあるのはホ
ルモンバランスの崩れによるものかもしれない。病は気からと言う言葉があるが、病気は処方された投薬からということも言
えるのではないか?

8月30日 先日、中型自動車の第二種免許を取得した。中型自動車と言っても教習にもちいるのは9mバスで、中型ができ
る前に大型二種で教習に使われた車だった。以前から大型免許を取得して一度大型車を運転してみたかったからである。
自動車学校に申し込みに行ったら、大型車は長さ11mもあるので、大型二種のバスの方が運転しやすいと言われ、申し込
だが受講者がいっぱいで2週間以上待つ必要があった。癖の付いた私の運転技術の見直しを兼ねて普通二種を取得する
むことにした。お客様を乗せて運ぶことに関して最大限の安全を考慮し、他のドライバーの模範となる運転に心がけることに
ついて多くを学んだ。でも、基本的な性格は直らないままできました。何の職業に就くにしても最大限努力することが必要で
あり何に対しても気を抜けないということである。普通二種を取得してから、3年後やっぱり大型車を運転したいと言うことで、
教習料金等が安い中型二種を取得することにした。教習場内・屋外路上教習でバスを運転する面白さを感じつつ充実感を
味わった。バスの方がトラックに比べホイルベースが短いだけ小回りがきき運転しやすい。更にお客様を乗せているため、安
全第一と考えると心にゆとりができてくる。心臓の方もだんだん回復してきているみたいだ。 

9月2日 今、民主党代表者選挙でマスコミがヒートアップしている。これに関して国民は冷ややかな眼で傍観している。代表
戦での両者の論点は日本経済の立て直しであるが、両者の視点が異なるため、国民には解りにくいものになっている。今
まで経済活性化についていろいろな政策でなされてきたがこれといった成果が得られていない。それらの政策が対処療法
のようなもので、根本的な方策がなされていなかったためだ。長期的政策が立てにくいのが根本的な問題で、官僚主導の
政策では多くの金が箱物の公共事業に費やされ、多くの利権を官僚等にもたらし、政治と金についてのダークな面を国民に
植え付けた結果となった。これらの国政と地方行政とは表裏一体のもので、地方行政でのダークな面が今後の焦点になっ
てくると言える。国民主導の政治という場合、国民目線は身近な生活であり、子供・孫達に如何によい社会環境を作っていく
かにある。そこには地方社会性の充実と地方行政に市民が参加しやすい体制が必要となる。それには現状の地方行政の
組織・意識のレベルアップが必要となる。市民主導の地方行政改革が必要となってくる。それが活性化につながると言え
る。

9月11日 先々月から水道の使用量が増えており、洗濯の際の水の出し過ぎと母の夜トイレの際の洗面所の蛇口の出しっ
ぱなしと思っていた。しかし、その程度の使用量ではなく、配管からの水道漏れであった。縁の下に潜り込んで水道配管を
調べ、水道メーターから建物への配管の立ち上がりを解る範囲で調べた。そのうち、修理を依頼した水道工事店の人が来
て、漏れ箇所を聴診器で調べた。漏れ箇所は意外にも簡単に解り、コンクリートをはつり、配管を調べることになった。漏れ
ている箇所は建物の外から建物中に入るところで、今だとエルボを使って直角に曲げているのを、塩ビ管をバーナーで曲げ
いたため、曲げの部分が炙りすぎで茶色くなり脆くなった部分が劣化して亀裂が入ったためであった。もう40年も前の工事
でその工事に対して誰の責任も問えない状態である。その場で何とかならばいいという工事ではなかったと思うが、もう少し
丁寧な工事をして欲しかった。何事にしても丁寧に慎重にするのが大切である。工事にきていた水道工事店の人は工事中
防塵マスクと防護眼鏡と丁寧な養生をしていて工事をしていた。工事には嫁さんと一緒に来て二人意気のあった作業をして
いた。

9月16日 尖閣諸島の領土問題が浮上して目を離せない状態になっている。歴史的経緯から人命より領土の方が重んじら
れる。国家としては国民は作為的に増やすことができるが、領土は奪い取るしか増やす方法がないからである。二十数年
前にヨルダンに海外青年協力隊として派遣されて、中東初めとする多くの国の民族・領土問題等を知りました。初めての派
遣のため大使館関係者から持てなしを受け、関係者の多くの人と話すことができ、当時の外交の現状を知ることができまし
た。ODAでの関係省庁からキャリアの職員が一等書記官として派遣されて、海外での経歴を付けるためか緊迫感もなく過ご
していました。ただ、警視庁からの参事官は目的意識を持って誠意を持って仕事に励んでいました。大使は一組織のサラリ
ーマンといった感じでした。私のいた職場の多くのヨルダン人はパレスチナ難民でヨルダン北部の緑の多い地区からの人々
が緑のないアカバが好きでないようでした。新聞には各国の民族問題等が多く載っており、経済的に強国に頼らなければな
らない現状と自立とのジレンマを感じました。対外的に見て頼りない日本政府と官僚では海外からバカにされても仕方ない
と言える。もう少し強くあって欲しい。 

9月22日 社会環境の変化に伴い、私たちは生きていくために絶えず環境に対応していく必要がある。それは主に経済環境
の変化によるものが大半で苦労が多い。生活をするためには金が必要であり、その金をどのように工面するかという問題で
ある。全ての経済現象が貨幣による価値で計られ、あらゆるビジネスが成り立っている。そこには貨幣の流れ、つまり、収入
と支出を如何にコントロールするかが重要で、その中でも貯蓄と借金というアンバランスな要素も重要な課題となっている。
価値観が多様化した経済社会では、如何に価値を付加するか、消費への欲求を増加させるかがビジネスの課題となってい
る。今の日本の社会は成熟期から衰退期にあり、少子高齢化により経済活性化を担う人口が急激に減り、将来への貯蓄が
なくなっている。冷え切った経済の立て直しに多くの税金(借金)が費やされているが、その金の流れも長期展望に立ってい
るものではない。膨大な借金への対策としては質素倹約と勤勉が必要であるが、辛抱や忍耐を忘れた人々は働かずして得
られる政府等からの援助等を当たり前のように思っているのが問題もである。 

9月29日 先日、保有資格を整理したら、40に達していた。カウント方法によっては多少前後するが、すっかり資格マニアに
なってしまった。いろいろな事への好奇心が資格取得と結びついて、自己満足をしてきた。知識のみならず技能等の向上の
ために資格を取得した。また、資格取得を通してでないと経験できないことも多く経験できた。学校等の養成課程等を修了し
て取得するより、国家試験で取得する場合が多く、気の短い私にとってその方が好都合であった。試験合格後に研修等の
修了が免許交付・登録要件となっているものについては、できるだけ受講した。資格取得後の実務でも多くのことを学んだ。
資格がないとできない業務に従事でき多くを体験できた。将来の目標をどのように実現するかを常に考え、今を如何に充実
させていくかを常に考えていた。資格取得もその一つの手段としてきたが、心臓病手術後、人生もそんなに長くないと思え、
もう少し自分を見つめ直して生きていくことにする。心臓の機能の低下により、気力・体力がすっかり落ちてしまって、時が過
ぎているのをボーと見ている事の方が多くなった。 

10月5日 先日 祖母の25年の法事があった。祖母といっても母親の方で、叔父とその子供と配偶者、孫達で、初めて見る
顔を多かった。顔を合わさなくなって久しいが、従兄弟達は昔の面影でだれか解る程度であった。母は一月余りの入院から
退院したばかりであるが、体調は良くなく法事には私が代わりに出席した。親族が顔を合わすのは葬式や法事といった時だ
けで、血縁関係のつながりが少なくなってきている。そのつながりに代わるものが形成されている。インターネット等でのつ
ながりもその一つである。ツイッターや掲示板もその一つで、血縁や社会的組織のつながりより気軽につぶやきあえる関係
を好むのである。多くの情報が溢れる中で何に頼ればいいかを、同じような境遇の人達の心のつぶやきに共感を求めるので
ある。そこには社会性とか正義という建前の部分より、より人間的な生き方に目を向けて、より本音で生きて生きたという現
実的な側面が伺える。先行きの見えない経済情勢の中で明るく生きていくにはお互いが本音で語り合う場が必要で、生き
ていることへの神と祖先への感謝という宗教心より重要な意味を持ち始めているかもしれない。

10月12日 先日ノーベル賞受賞者の発表があった。化学賞に日本人の根岸英一氏、鈴木章氏がいて喜ばしい限りである
が、彼らの研究は日本より米国で成熟した形となっている。これは日本での大学等での研究のシステムがビジネスより純
粋な学術研究を重視する傾向にあるためで、研究費の少なさも一因となっている。また、大学等では学生等に教授すること
がメインで、研究だけでは収入を得られないのも問題である。十数年前、ある企業で製品開発をしていた時、上司が元工学
部助教授であったので、彼の研究分野である機械工学に関する雑誌等を多く目にする機会があり、いくつかの投稿記事を
読んでみた。内容としては、理論的なアプローチと実験的なアプローチのもの2種類があり、それらの製品化への応用につ
いてはかけ離れたものが多かった。それらは学術雑誌に掲載したというキャリアを付けるだけものに思えた。それに比べ、企
業のもつ問題点をいろいろな方向から課題を解決していくという米国の大学等のやり方が素晴らしいものがある。日本での
理系離れは進んでいるが、それは考えることが楽しいという教育がないがしろにされているからでもある。 

10月17日 パソコン歴は30年になるが、最初の頃は趣味存在でハードとプログラミングを楽しんでいた。昭和60年頃プラント
等の制御装置に使われていたものはパソコンに使用されていたものと変わりなく、工業コンピューターといっても今から考え
ればおもちゃのようなものであった。パソコンが普及し始めたきっかけは2つある。1つめはワープロと集計ソフトが出始めと、
もう一つはインターネットが普及し始めである。最近では地デジ・BS・CS放送もパソコンで見れるようになり、インターネットで
の動画配信も楽しめるようになり、日常生活・日常業務には不可欠なものとなった。その間のハードとソフトの進化にはめま
ぐるしいものがあり、つい最近もハードディスクを増強して、総容量3TBとした。その大きな理由は、低容量のものから高容量
の高性能なものへの切換と、テレビ放送をパソコンで録画するためであった。著作権法等との関係でB-CASカードがパソコ
ン用のチュナーボードにも装着することになった。そのカードを登録したところ、その情報からwowowから加入勧誘の電話が
かかってきた。個人情報保護の方はどうなっているのか?双方向通信システムでは情報保護の観点からセキュリティの強
化と慎重な運用が必要といえる。

10月23日 日本の物価はデフレ気味で推移している。しかし、少しインフレ気味の方が経済は安定していると言われるが、
貨幣の実質価値はどうなんだろうか?日本人の平均所得額は減少傾向のため、物価が下がっても実質価値は変わらない
ように思えるが、政府の景気策によって何とかバランスを保っているに過ぎない。廻らない金を強制的に回しているだけで、
将来への見通しは暗い。世界的には円高で日本全体の価値は増加しているようにも思えるが、各国間の交換レートは一時
的な需給バランスと思惑で常に変動するので、実質価値を表しているものではない。一国の通貨がその国内だけでなく、海
外まで流通しているために流通貨幣量の調整はその国の政府・中央銀行できなくなっている。金融市場での実質需給バラ
ンスと投資家動向との相反する事象で運用されているためである。通常の営業活動と投資活動がビジネスモデルとして同
等の価値を持っているか、投資活動が大きなウエイトを持ってしまった結果である。ノーベル賞の経済学部門の受賞者の研
究テーマを見ているとその時代の苦悩が伺える。経済学は社会科学の理論と言うより国家的施策への言い訳であり、場合
によっては生きるためのポリシーとなっている場合もある。 

10月27日 2日間消防設備士の義務講習(警報設備、消火設備)を受講した。消防法等の改正が頻繁に行われているため
に定期的に受講が義務づけられている。老人ホーム等での火災事故で多くの老人が死亡したことで、老人ホーム等の警報
設備・消火設備の設置が強化された。275u以上の老人ホーム等にはスプリンクラー設備の設置が義務づけられたが、
1000u未満の場合は簡易の設備でもいいため、消火設備は消火より燃えるのを押さえる程度のものである。また、来年5
月までに住宅用火災警報器の設置が義務化されたが、消防設備士の扱う警報設備とは違う簡易版で寝室等に付けられ
る。日本の家屋は木造が多く火災が発生しやすく、発生すると延焼して大惨事になり易い。特に老人の場合、判断能力と身
体能力の衰えで危険を回避できない場合が多い。対策としては老人を見守るシステムが必要である。これを行政だけに任
せておくのではなく、市民活動として、また、企業の社会貢献事業として成り立つシステム作りも必要である。

11月4日 先日夜間に母がトイレに行こうとして足を滑らし倒れた。身体的にダメージは無く良かったが、安全のため手すりを
七カ所ほど取り付けた。ホームセンターで資材を購入して取り付けたが、手にまめをこしらえてしまった。手すりがあればとっ
さの時に安全でいい。8年ほど前まではマニュアル車に乗っていたが、オートマチックに乗るようになって運転操作が楽にな
り、より安全確認ができるようになったのと同じだと思っている。安全確認を確実に行えるように癖をつけると、マニュアル車
に乗るようになっても安全確認が自然と行えるようになった。人間の集中力にはストレスがない方がいいのかもしれない。職
業訓練でも適度な緊張が必要かも知れないが、ストレスになるようなのは適切だといえない。特に納得されていない押しつ
けはダメである。いろいろな職場には歴史があり、それなりの慣習めいたものがあるが、多くの場合キーマンとなる者が独り
よがりで決めた場合も多い。そのような慣習で物事を進めるのもいいかもしれないが、社会的環境の変化で価値観が変動し
ていく中でそれらがトラブルの原因となっている場合も多く見受けられる。

11月8日 先日社労士会の研修があった。大学の法学部教授兼弁護士が独自の資料をベースに2時間ほどおこなったが、
強烈な個性で個人的にはなじめないものであった。法律関係の書籍を読んでいると、言葉の意味をいろいろな形でとらえる
ために実質的にどうでもいいようなことでも論点としてしまうのである。法律があって、それをベースにしていろいろな事案を
処理していくために、道理に合わないようなことでも無理して道理付けしようとする。社会環境の変化に伴い、裁判例・判例
等も変化していくのであるが。法律の論理というのは世間の常識とかけ離れたところも多くある。司法試験・司法修習所等を
経て法曹になった人々の独特な論理によって構成されている。裁判外紛争解決方法としてADRがおこなわれて来ている
が、その手法も民訴法等をベースとしたものが主で、最終的には弁護士等の関与を必須としている。社会保険労務士が関
与できる個別労働紛争に関しても、東京地裁労働事件関係の裁判官等が構築してきた審理方法に則した形を取っている。
労働問題は労使のみならす行政も大きく関与しているので複雑でフレキシブルな側面を有しており、労働法は独特な法律
論を展開している。

11月12日 尖閣諸島の中国漁船ビデオ流出事件から司法判断における事実認定の信憑性が問題となる。今回の場合、事
実の隠蔽であるが事実を書き換えることも多くあるといえる。事実といっても客観性が明らかな場合はいいが、主観的な要
素が多い場合は事実を示す証拠としては不適当な場合が多い。人は暗示にかかりやすく思い込みをよくするため、記憶の
刷り込みは容易であるためである。他人からの影響を受けやすいのである。特に都合の悪いことになると、集団でそれを排
除しようとする。そこに多数決の横暴がある。歴史的にマイノリティが抑圧を受けてきたのもそのためである。司法機関は独
立した存在であるが、その司法の場で審理される証拠等が歪められたものだったら、公平な判断はなされない。まして、企
業・学校・政府・地方公共団体等の組織などでは多数決の論理での判断基準があり、立場の弱い人達はいじめの対象とな
る場合が多い。不公平な既得権で強いものは強さを誇示しようとするためである。でも、グローバル社会が叫ばれる中で、そ
の強さを誇示する価値観も崩れてきていることを認識しなければならない。

11月21日 医療制度や介護保険制度を充実させきて、先進国の中でも福祉国家といえるようになった。そこにはサービス内
容と費用負担という問題があり、日本政府並びに地方公共団体の財政を圧迫している。年金の公的負担も同じであるが、
公的資金での経済活性化に貢献しているのであるが、金の流れが不自然であるから期待通りの効果が上がらない。そこに
は社会貢献と社会への還元という企業並びに個人の使命感が欠如しているといえる。そして、官僚等の不鮮明な税金の使
い道も大きな問題となっている。有り余った金が投資ビジネスに流れ、不自然な物価等を形成しているという矛盾が存在す
る。投資自体はベンチャービジネスの育成での経済の活性化という目的ではいいのであるが、多くの場合、博打のような価
格操作により翻弄されているのが実状である。また、そのような金融市場に年金・保険等の資金が運用され実質総額を減ら
しているという悪循環もある。これらのことは、利己主義で欲深い人々がバルブのような爽快感を求めているためでもある。
謙虚さや無の境地を考えて生きたいものである。

11月25日 北朝鮮軍による延坪島への砲撃については驚かされるが、昔は日常茶飯事なもので現在においても形を変え
て脅迫として行われている。民主主義では総意か多数決によって物事が決定されるが、一部の独裁を有効にするために弱
いものを見せしめのように痛めつけることがある。そのように意図していなくても、独裁政権を続けていくために組織としてそ
のような体制になってしまう。このことは政治・行政の機関のみならず、士業会についてもいえる。士業会に入会していなけ
れば職業とできないため、入会金と毎年十万円足らずの会費を納める必要がある。多額の会費を納めているので、ある程
度のメリットがあるかと思っていたが、そうでもなかった。入会当初、一部の会員から不愉快な思いをさせられた。そのため
会の総会・研修会等への参加を止めていたが、必要があり研修会に参加した。その時に感じたのは独特な雰囲で、私には
異様なものであった。そのような中で何かやろうとするとまた嫌がらせのようなことをされるかと思うとうんざりする。

12月4日 昨日、行政書士会の研修を受講した。インターネットを通じた全国同時研修という形で行われた。1限目の題目は
「日本型移民政策論の展開」で、人口減少への対策として移民を積極的に薦めるものであった。今の状態では100年後に
は人口は半減して、経済はますます衰退するということで、1千万人の移民を推し進めて、人口減少を食い止め、移民によっ
て発生する産業により活性化を図るというものである。グローバル社会が経済市場が専攻して世界的に浸透して、情報社会
もそれに追随して浸透してきた。それに伴って価値観の共有も見られ、文化的違和感も少なくなってきている。ただ、言葉の
持つ壁だけが残り、グローバル化の流れの中でに共通言語を追求するあまり、固有で独自の文化が失われ、その原点とな
っている国民としてのアイデンティティの喪失も心配されるが、歴史を見るとそれらの困難も克服してきた人類の知恵が解
る。いろいろな文化の合流でさらなる文化が花開いた。最終的にはどのように生きていくかの判断基準となる価値観をどの
ように持って行くかが重要になってくる。

12月12日 今、紙の印刷物のすべての電子ファイル化を考えて
いる。今まで数多くの本・雑誌等を購入してきたため、それらがあふれている。それらの多くは今となっては読むことはない
が捨てられずにいる。仕事上の書類も同様である。それらをすべてパソコンで管理できれば便利であるし、それらの収容ス
ペースもなくなりすっきりする。今となっては多くのものを持っている必要はなく、シンプルなのがいいと思っている。しかし、
パソコン上でのデータが膨大になっていくし、いつでも検索できるという安心感から別の思考経路が生まれてくる。人によっ
ては短絡的になったり、気が短くなったりもする。多くの場合、テレビ等の画像媒体からの影響が大きいのであるが、視覚的
聴覚的刺激が多くあるためである。現実との遭遇より、仮想観念の認識に慣れてしまったためでもある。人類の進化の過程
で、急激な視聴覚機器等の進化と生活形態の変化に対して人の精神並びに脳神経が正常に対応していっているのかが心
配な時がある。脳神経等へのストレスが多くの身体的・精神的疾患を生み出しているのかもしれない。

12月21日  先日の行政書士法違反に関する最高裁の判決が出された。その判決文に、「行政書士法1条の2第1項では
「官公署に提出する書類その他権利義務又は事実証明に関する書類」とあり,文理上,「事実証明に関する書類」の内容に
ついては「官公署に提出する書類」との類推が考慮されなければならない。」とある。このことは行政書士法に記載されてい
る行政書士業務範囲が漠然として私にも一体何が独占業務か、何ができるのかが解らなかった。今の行政書士試験の内
容は、基礎的な法律の知識と一般知識等が問われる内容でこれといって実務的な内容はない。試験合格すれば、実務経
験の必要もなく行政書士として開業できる。実際の実務は開業後に習得するのだが、行政書士会での研修会等が行われ
るが、それも充分でなく形ばかりのものが多い。そのためか、行政書士の業務専門性に関して他士業と比べ劣ると言われ
ても仕方がない。しかし、実際の行政書士業務は書類作成等に専門性と経験を要する場合が多く難しいものが多い。行政
書士の存続を考えると、法目的である「国民の利便に資する」ために、地域密着してもう少し身近な存在である必要があると
いえる。

12月30日 蔵書の電子化をおこなっているが、なかなか進まない。全体の2割程度を電子化した。もう読まないということで
処分したものも同程度あって結局全体で5割程度処分した。そのため、書棚も半分近くは処分したため書斎はすっきりとし
た。なんだか新しい空間が生まれたようでもある。人類は過去の蓄積によって成り立っているのであるが、遺物となった過去
もある程度捨て去って新たな生き延びる道を構築してきた。その点、精神文化は昔に比べ猛烈な勢いで華やいでいる。イン
ターネット等のマスメディアの発展に伴い、人類の数に匹敵する以上の表現が発信できるようになったためである。社会的
物理的制限もなく、自由な思いを発想でき、それをパソコン等の電子機器を通じて表現できるようになったためでもある。空
想と現実との境目がぼやけている人々も多く出てきている。文字文化よりテレビ等の視聴覚刺激をより当たり前とする傾向
がそれを助長しているともいえる。刺激的要素が多く、それらの多くはふと我に返ったとき虚しさを助長するものかもしれな
い。 

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