H23年

1月5日 平成23年になったが、世界的にも景気停滞を抜け出せないでいる。資本主義社会と自由競争の弊害で、貧富の拡
大と政府等の赤字を加速化している。中国のように一党独裁の方が政策のブレがなくいいかもしれないが、これも歴史的必
然性の中で一過性のものかもしれない。なぜならば、あまりにも大きすぎる国家を一つの方向に持って行くには多くの軋轢
を含むからである。昔だったら抹殺された少数民族は歴史の中での認識でしかなかったが、現在では通信ネットワークの発
展により共通認識が芽生え始めていて、今までと違った価値観が生まれているからである。個々の価値観を大きく尊重でき
る形ができはじめて、場所・言語・習慣の違いを超えての共通認識が形作られている。人々の生き方も自由な選択ができ、
その多様性は無限にある。それに伴ってより強固な自己責任が必要となる。それを補うために国家等の体制が必要になる
のだが、国家と国民との関わりが問題となってくる。依存関係だが、そこには国家と個々の国民との契約関係がより重視さ
れてもいい時代になってもいいような気がする。

1月12日 ここ数日寒い日が続いているため石油ファンヒーターを使っていたが、スイッチを押しても作動しない。そんなに使
っていないが、タンク内の灯油が空になったのだ。あるあると思っていてもいつかはなくなる。お金も同じようなものである
が、お金は回ってその役割を果たす。お金そのものは価値があるようだが価値を数値化したものに過ぎない。資産の運用で
の投資は利子と金融商品としての市場価格の上昇を期待したものだが、これが原因で市場経済の不公平な動きが起こって
いる。価格の決定には、市場価格(需給の均衡点)、原価、使用価値(運用からの収益)の3点の要素がある。このうち、収
益が重要視されるために、原価が大きな影響を受け原価中の人件費が大きく下がっているのが今の現状である。更に、市
場価格が大きな投資マネーで攪乱されて不合理な上昇で物価上昇をもたらしている。これも必要なところにお金が回ってこ
ないためで、金融業界の変化もこれを助長している。大量消費から嗜好消費に変わっているので経営戦略もより多様性を重
視した施策が必要となっている。生活の多様性を推し進めるのも経済活性化へのひとつである。

1月19日 商品やサービスの種類は多くある。それらを知るだけでもわくわくする。生活をより楽しく快適に過ごす方法が見つ
け出しそうな気がする。あれこれとインターネットや本屋の書籍を見ているだけでも気分が良くなる。将来への不安を抱くよ
り、何でもいいから希望を持つ姿勢が大事といえる。しかし、当初期待していたことが裏切られることもある。また、期待への
手段なのに達成感が生まれてしまう。浮気性なのか?ストレスの多いための自己防衛かもしれない。急激な科学技術の進
歩により、数年前に比べると多くのことを覚えなければならないケースが多くあるからである。特に電子機器ツールの活用に
関しては語学学習に似たものがあり、人によっては拒絶反応を起こすかもしれない。それに対しては、シンプルにして考える
ことが大切かもしれない。不安になるものを心の中からすべて捨て去り、先ず無の境地を作ることが大切である。無の境地
の中からわき上がるシンプルな気持ちが新しい環境へのスムーズな対応ができる場合が多い。

1月26日 先日、依頼を受けて障害者家族を特別養護老人ホームの見学に連れて行った。ホームに入れたいというのは60
歳になる知的・身体障害者の息子で病院に入院しているが、退院後の行く施設を探すためであった。その家族は80代にな
る両親で車いすでないと動けない父親と認知症の母親で、どこに行くにしても誰かの介護が必要な人達でした。彼らとの出
会いは息子の障害年金申請依頼から始まりました。両親の年金だけの収入で二人あわせてもやっと生活できる程度で、障
害者の息子の面倒を見ていた。親にとって息子が不憫に思うのか、少し甘やかし過ぎていて、思い通りにならないとその息
子は癇癪を起こすこともある。親に対して頻繁に起こすため、息子の方も入院で親から離れる手段を取ったようだ。彼らには
もう少し福祉行政の恩恵を受けれるはずであるが、私としてはどこまで関与して良いのか迷う。説明しても重要なことは忘れ
ることもあり、彼らの自己責任だということでつきはなすこともできない。でも、彼らに対しては無報酬活動のようなものでいつ
までもできないかもしれない。

2月1日 先日、行政書士会支部の新年会で種苗法についての研修を行った。行政手続業務に精通されている先生方でも
知的財産については何も知らない方が多いので、特許についての説明から知的財産権の本質について説明しようとした
が、相当難しく感じられたようだ。経済の活性化には地域経済の振興が不可欠なため、振興への起爆剤となる新しい価値を
生み出しそれを保護するには地域行政の役割が大きいと思ったためです。そのために、地域行政と地域産業との架け橋と
して、行政書士が大きく関わって欲しいとの思いもあった訳です。種苗法は農林水産業の発展を目的としていて、自国での
食料自給率を大幅に改善し、安全で納得のいく食料事情の改善に多いに貢献すると思っています。士業の役割として行政
と市民との架け橋となって市民の要望を行政に反映させて、お互い納得のいく運営をしていくのを手助けするのが重要だと
思っています。研修は2時間足らずの短いものでしたが、これを契機に新しい視点をもって業務に励んでもらいたい。

2月8日  角界の八百長事件で日本の歴史ある文化の存在意義が問われている。その発祥は神事であったが、時代の流
れの中で興行ビジネス化で、力士が利権を守るための馴れ合いが無気力相撲を生み出した。それは公務員や議員等につ
いてもいえる。利権と馴れ合いが無気力公務を生み出している。唯一気力があると思われるときがある。議員等の選挙での
投票依頼である。ただ投票してくださいと頭を下げるだけで、当選後は選挙がらみ以外では無気力でいる場合が多い。税金
が議員・公務員の恣意によって使われている現状を生み出している。職業倫理と職業知識・能力を持つ人達に行政を任せ
たいが、利権と馴れ合いがそれを阻んでいる。そのような矛盾が社会的ストレスを生み出し、社会的病理となっている。信頼
性の喪失と人への尊厳も失わせている。生きていることに哲学的意味を求めている訳でもないが、日々感謝の気持ちを持っ
て、受けてきた恩を社会へに還元して、明るく元気な子孫を育てていくことが必要である。

2月16日 5年に一回受講が義務づけられている倫理研修が始まる。開始前に設例問題に見ると、「顧問先の甲社に倒産の
噂があり、甲社の総務部長の様子がおかしいと気がして、甲社の取引先であって顧問先の乙社にその旨を話し、乙社は甲
社への物品納入を停止した」というのがあった。出題者の意図は社労士法等からの認識であるが、これには多くの問題点
が含まれている。社会・労働保険等についての知識しか試験では要求されていないが、受験資格の学歴等でなにがしらの
担保がなされているかもしれない。社労士会に入会当初、行政書士試験にも合格していることを知ったある会員が、地方の
私立大学出身であることを自慢げにいい、バカにしたような言動を私に取ったことがある。学歴による受験資格がないから行
政書士試験を受けたと思い込みをしたようだった。倫理研修が始まったが、このようなことがなくなるといいと思うが、私の今
までの経験上、そのような性格は直らない場合が多い。性格はその人の人生の結果であるからである。

2月22日 社会保険労務士の倫理研修を受講した。倫理研修の目的は公共の利益のために設けられた独占業務への担保
である。研修で参加者・解説者の思考をみると表面的な判断が多いのが気になった。その大きな理由は社労士試験の出題
内容が大きく関わっている。社労士業務はメインは役所への手続業務で企業等で総務業務1年の経験があれば十分にや
れるもので、試験では業務知識を問うもので、法的思考を問われないのが問題と言える。3ヶ月も勉強すれば6割程度の得
点はできる程度になるが、各科目別足切りと7割程度のボーダーが合格に苦難している受験生も多い。一長一短はあるが、
税理士試験のような形態の方が社労士試験には適切と思っている。社労士にもADRの代理権が付与されて、法的思考が
必要となっているが、今の社労士にはそれだけの業務能力はないと思っている。単に知っているか、情的な好き嫌いでの判
断が余りにも多すぎるからである。今の状態では公共の利益のために独占業務もなくしてもいいのではないかと思ってい
る。

3月1日 最近、必要なため調理をするようになった。調理は意外と手間がかかり、手を抜くと美味しくない。化学実験のよう
な感覚でおこなっている。人類の長い歴史のなかで食が人類の進化の形成と文化の進展を大きく作用してきた。過酷な環
境のなかで生き抜くために必要な栄養分に美味しさを感じ、限られた食の中で必要な食物を見つけてきた。それには薬のよ
うなものも多い。食を楽しむのは精神的に安定をもたらし、体調の回復をもたらす。世界的に見て美味しいものが食べられる
のは日本であり、庶民の食文化が大きく開いている。その中で単純に思える食ほど奥深いものはない。うどんひとつとっても
語り尽くせないうんちくが多くある。でも、うんちく云々より本当に美味しく感じる心が大事だと思っている。ヨルダンにいた頃
よく食べていたホンムス(ひよこ豆料理)とホブス(パン)の美味しさが忘れられないでいる。その地方で食べ続けられている
ものには何かしらの暖かさを感じる。食べることを楽しむには美味しさも大事だけど、人々との楽しい語らいも美味しさを増す
要因でもある。

3月3日 社労士会の相談年金実務者研修が始まった。最初の研修時に、社労士会長が次のようなことを言った。社労士は
議員立法により成立したために、議員を支援するための政治連盟に加入していない者は不公平な扱いを受けて当然である
と。私は信念により政治連盟に加入していない。そのためか今まで不公平な扱いを受けてきたので、今更そのことを明言さ
れて、強迫めいたことを言われても信念は変わりはない。義務だったら初めから会費の中に含めておけと言いたいが、会長
等の政治的意図のためにそのような横暴なことをしているかもしれない。地位と金を得た後は、名誉かと思いたくなる。公益
性の強い士業での会長歴は勲章等の栄誉が与えられるのか。そのことは政治家にも言える。公共の利益により独占業務と
されるが、他士業との力関係で実質的にそれも満足に作用されていない。本質を見失っているのかもしれない。会主催の相
談員として推挙されることはないと思うが、公共の福祉のために困っている人々にその恩恵に与れるようにしていきたい。

3月10日 中東での独裁政治が民衆の力で崩れ去ろうとしている。二十数年前にヨルダンにいたが、当時フセイン国王によ
って統治され、ヨルダン人も国王の人柄に信頼を寄せていた。握手好きのため、凝った手肩のマッサージための日本人女性
がいたと聞いていた。国内の99%はイスラム教徒で原理主義者もいなく、穏やかで話し好きな人が多かった。話は宗教に
関することが多く、会話には参加しないこととしていた。当時読んでいた新聞には、国内の世相から近隣国の政治的なもの
もあり、結構面白かった。女性が仕事に就いているのも多く、国策として前向きであった。そのような中でも海外からの支援
等を政府関係者が着服しているという話も聞いたことがある。貧しい者には施しを与えるということが徹底してあるため、餓死
して死ぬということは聞かなかったが、部族の名誉のために親族を殺したという記事も良く見かけた。誇り高き日本の武士の
ような気質が見受けられた。宗教上の教えから、聖戦とする戦いには命を惜しまない彼らに何かしら何かしら浸し見さえ感じ
られた。

3月13日 東日本大震災で、福島原発の炉心溶融のため敷地境界で約1mSvの放射線量にはびっくりした。十数年前に原
子力発電所で放射線管理に従事していたが、その時管理区域内で1mSvくらいの区域は特殊でその中での作業では作業
時間の制限や被ばく軽減措置をおこなっていた。炉心付近の放射線量は相当な値になると思われるが、一番怖いのは内部
被ばくである。微量な放射性物質でも強い放射線を放射し、体内に入るとその物質の特性によってはなかなか排出が難し
く、常に被ばく状態となり、癌等の疾病を起こすことになる。放射線取扱主任者資格を取得する時に、試験合格後、5日の講
習・実習等で免許交付となり、放射線管理の業務に従事した。放射線管理に関しては施設によって特殊事情があるため
に、そのサイト毎に改めて放射線防護教育を受けた。でも、このような非常事態を想定した訓練等はやっていなかった。回避
できない災害に関しては、冷静な行動によって二次災害を防ぐ方法を身につけることしかないかもしれない。

3月21日 東日本大震災の避難地への物資供給がうまくいっていない。地方行政側の混乱もあるが、今の行政の弱点がも
ろに現れた結果かもしれない。法律等によって上部行政庁の指示で動くようになっている体質が非常時には船頭のいない
船のような動きとなる。そのことは会社組織にも同じようなことが言える。経営に悪化によって賃金の切り下げと労働条件の
悪化で仕事への意識が変わりつつある。どうせ頑張っても賃金も上がらないため、職場内での仲間意識より職場内での立
場の弱い者へのイジメでストレスを発散するケースも見受けられる。停滞した経済情勢の中ではいろいろなところで歪みが
現れている。そのような中でも崇高な目標意識を持って働いている人もいるが、食べていくために競争の中で他人を蹴落と
してでも金を稼ぐことを余儀なくされる。信頼より人間不信の方が強くなっている。このような状態が続くとは思わないが、早
く明るい話題が常にマスコミに流れるようになって欲しい。

3月28日 福島原発の事故に関するニュースで建屋内でSV単位の放射線が測定されている。先日の建屋内で放射線管理
担当者不在で作業をしたのには驚いた。管理区域内での作業には専任の放射線管理担当が立ち会い、作業環境の現状
把握をおこない、被ばく量の管理をおこなう。通常の原発での1日の許容被ばく量に制限があるが、今回のような特殊な場
合その許容量が大きくなるが、それでも0.1SVを超えることはない。原発での作業者には放射線管理手帳が支給され、被
ばく量の管理を一括管理をしている。私は放射線管理をおこなっていたが、当時の私の被ばく量は一月あたり0.5〜2mSVと
なっていた。これは外部被ばく量で、定期的に内部被ばくの有無の計測もおこなった。当時労働安全衛生管理に関しては、
原発における管理は凄いと思った。今回の場合、特殊事情があるにしても基本的に手を抜けない作業は必ず実施する必要
がある。安全確認はどのような場合でも実施することが大切である。

4月4日 日本の行政システムは優秀な官僚の努力のおかげで素晴らしい。法令のみならず、細かな通達や指針等は細部
にまで行き届いている。しかし、縦割り行政の弊害のため、一般人からみると不思議なところが多い。今回の福島原発の事
故に関してはいろいろな官庁等が関与することとなる。電力事業運営では経済産業省、放射線管理関係では文部科学省、
労働・厚生に関しては厚生労働省、災害等に関しては総務省消防局等、そして、内閣府と所轄の県庁等である。放射線関
係では、核燃料は経済産業省、放射性物質は文部科学省、放射性物質を取り扱う事業所等での作業環境管理等は厚生
労働省で、資格で言えば、核燃料取扱主任者、放射線取扱主任者、作業環境測定士等となり、こまかな法令等をみるとど
れも視線が役所目線なのである。これでは今回のような震災では二次的な被害が人災として大きくなっても仕方ないと思う
が、日本人の思いやりの振る舞いが被害が少なくしていると思う。

4月10日 4月に入り暖かい日々が続き桜は満開である。弁膜症の手術をしてから1年半年が経ち、僧帽弁の機能は完全復
帰しているが、いまだに手術痕が痛む。今までペインクリニックにも通ったが痛みは改善されなく、痛み止め薬等で体調が悪
くなることがあり、治療はしないこととした。今頃になってなぜそのような症状になったかを考えてみた。小さい頃よく熱を出
し、扁桃腺を腫らしていた。その時の感染菌が僧帽弁と腱策に付着して、徐々に腱策等を外傷をもたらしたと思われる。20
歳頃胸部を締め付けられるような症状があり、疲れで寝込んでしまうこともあった。十年前、心臓が頻脈のため一度循環器
科のクリニックで診てもらったことがある。X線写真では若干の肥大が見受けられたが、医師からはこれと言った異常の指摘
はなかった。3年前、胸部の変な痛みがあったので精密検査をして欲しいと考えてい矢先に咳き込みと呼吸困難が生じて、
弁膜症の手術をなった。体にメスを入れ、骨まで切断しての手術だから完全も戻ることは期待していないが、心臓自体にメ
スを入れたことで気力が薄れた。加齢に伴う衰えは避けられないが、明るい明日を忘れずに生きていきたい。

4月14日 福島原発の事故での放射性物質漏れの概要が公表されつつある。放射性物質の測定等には特殊な装置が必
要であるため、一般には現状把握が難しい。ストロンチウム90やプルトニウムが検出され、その分布状況とその量が気にな
るところである。内部被ばくによる影響は直ぐには現れない。強力な放射線を浴びたとしても即死することはないが、細胞
死・異常細胞の発生による影響で死にいたる場合がある。最終的には放射性物質を隔離・処理する必要がある。今回の事
故で放出された放射性物質に汚染されたものの管理が問題となってくる。私は原発で低レベル放射性廃棄物の管理をして
いたが、それらでも今回の汚染物質より放射線レベルは低かった。低いレベルのものでも一カ所に多く集めると高い放射線
レベルを示していた。放射線レベルが影響のないレベルまで下がるまで保管して置くのであるが、放射性物質の半減期に
よっては相当期間を要する。化学的にも物理的にも放射線を中和することもできないため、どのように管理していくのかを見
守っていきたい。

4月20日 放射性物質に汚染された物質の処理が問題となっている。私は原発で発生した汚染物質の管理をしていたが、
その多くは放射線レベルの低下を待って、減容措置を行って、さらなる低下を行うものであった。今回の場合、汚染水から放
射性物質を抽出しても、高レベル放射線汚染物質が精製され、その保管管理が問題となってくる。放射線(γ線等)を遮蔽
するために相当な施設を要するが、使用済み核燃料等の保管のように地下深く専用保管施設が必要になるかもしれない。
また、現在稼働している原子力発電所が廃炉となった後の措置も大きな課題となってくる。二酸化炭素を発生しないため、
クリーンなイメージが強く、放射性廃棄物質等の処理費用等を考えなければ、発電原価は良く、電力会社では稼ぎ頭であっ
た。典型的な設備産業でもあり、公共性が強いため、国からの優遇も凄い。大きい金の流れが有るために政治的にも利用さ
れている。今回の事故での損害賠償のために電気料の値上げがあるが、電力会社関係者の高い給与を問題にする人は少
ない。現場で協力会社の作業員が過酷な環境と安い報酬で作業していることを忘れないで欲しい。

4月26日 米国のオバマ大統領の「change」の余波で日本でも改革を唱えた民主党が政権与党になった。国民不在の政
治・行政姿勢を見直してくれると期待をしたものであった。現実には金の流れに執着したもので、期待していただけに失望も
大きい。でも、他の政党も似たり寄ったりで国民にとってはより身近な地域勢力に期待する傾向が強くなっている。今回の東
日本大震災で集団移転を余儀なくされている人達も地域丸ごとの移転を希望しているケースも多い。今まで築いてきた地域
のつながりが何よりの安心感をもたらすのである。少子高齢化で平均年齢が高くなっている地域コミュニティではなおさら人
とのつながりを大切にする。インターネットなどの通信システムにより、情報の収集は格段に良くなり、行政・政治に関しては
国民は意外と知っている。ただ、今回の福島原発の事故に関してはベールに包まれたものも多く、不必要な不安をもたらし
ている。非常時に当たり前に行われることが、巨大組織の硬直性のために行われていないのだ。巨大組織の一員というだ
けで、向上心なくても地位も収入も確保されているという体制が問題を大きくしたと言える。

5月2日 年をとってくると身体に何らかの異常が出てくる。加齢により、精神的にも弱くなって苦痛を更に大きくしている。私
の母は80台で甲状腺機能低下による疾患への投薬によりめまい・ふらつきが生じ寝込んでいることが多い。めまい等に対し
て耳鼻科クリニックに通っているのだが三半規管の血流が良くなる薬が処方されているが良くならない。そのため、他の病
院に連れて行ってくれと言い出した。本人は精神的に辛いらしく、父親からも病院に連れて行ってくれと言われるが、今の状
態ではどうすることもできない。最近になって母の病歴の概要が解ってきたが、投薬の管理と心療内科の治療が必要と思え
るようになった。症状に対する対処薬投与だけでは根本的な解決ではなく、加齢と疾患等による脳神経の機能異常(認知症
等)での言動異常で状態を悪化させている。先日病院に入院している障害者の両親が、その子供が不憫に思って一時帰宅
の手伝いを私依頼してきた。その母親に認知症があり父親も身体障害者で子供が帰ってきても面倒なんか見れないのだ
が、お互いの心のつながりだけが生き甲斐となっている。

5月9日  福島原発での事故の影響で日本政府の原子力政策が 揺らいでいる。電力の安定供 給の目的で原子力を利用
し、 原子炉の100%運転のため に夜間余った電力で電化住 宅のようなシステムを作って しまった。そのような流れを大 き
く変えようとしている。政治 的人気取りでころころと政策 を変えてはそれに携わる者に とっては死活問題となる。選挙で選
出された議員やその所属する政党等の資質の問題があるが、日本の場合優秀な官僚による行政手腕がその弱点をカバー
してきた。 それは自由主義経済体制にあるにも関わらす、中国・旧ソ連より共産主義体制のようにも思える。大震災のよう
な状態に陥っても、略奪や暴動もなく、お互い助け合っているのは他国からすると驚異である。日本独特の思いやりの精神
が緩衝材のように戦後混乱なく今の成長を推進してきたのである。これからは政治的な腹芸より、人としてなるべきことは何
かをじっくり考えて共存していく道を選んでいくしかないと思う。そのような点で士業会の政治連盟の存在は何もしない議員
達を助長するだけである。

5月15日 福島原発での作業員が作業中の異変で死亡した。放射線によるものというより、作業環境等のストレスによるも
のかもしれない。今回のような原発事故における復旧作業には労働基準法等の労働法令は適用されないのか?このような
点が報道等されていない。労働基準監督署等が関与していると思うが、労働者の作業環境については測定機関等の報告
書の提出のみで実際は現状を把握していない監督官等の裁量によっての現場視察が多い。特に放射性物質に関しては、
安衛法等に規程はあるが、縦割り行政の弊害からか他の官庁等からの引用的な内容で形骸的なものでしかない。放射線
管理区域内に監督官等がその職務として立入をすることはないと思うが、作業に従事する者達の労働条件等の把握・指導
等はしてもらいたい。厚労省の労働局関係者で原発等での従事者の有している放射線管理手帳等の存在自体を知ってい
る役人は皆無だと思うが、労働者の安全と健康を確保と、快適な職場環境の形成を促進して欲しいものだ。

5月22日 福島原発の影響で日本のエネルギー政策が見直されようとしている。エネルギーとしては電気、ガソリンやガス
があるが、クリーンと安全性の観点で電気が主流となっている。電気と言っても電子機器・制御技術の発展の方である。20
年以上も前に、海外青年協力隊でヨルダンの火力発電所で自動制御・計装の技術指導をおこなったが、当時の最新装置で
あったため、膨大な技術資料をみて勉強した。日本でのプラントの自動制御装置に関しては知識と経験があったが、日本企
業の横並びの技術と比較すると、アメリカ企業の先見性と技術思想の高さに驚嘆した。電子機器の場合、思った通りのもの
が作れるため、最初の基本方針が重要になる。つまりソフトが先行して、ハードがそれに追随する傾向がある。原子力発電
所の場合、ハードを変えることができないので、制限された範囲内でのソフトの変更になるが、ハードの欠陥があればソフト
を変えても根本的な解決にはならない。今後の日本のみならず世界の社会的動向も大きく左右しかねない課題にもう少し国
民全体で真剣に取り組んで欲しい。

5月25日 心臓弁膜症の手術をしてから1年8ヶ月が経つが、開胸術痕が痛む。以前、ペインクリニックで治療してもらった
が、改善しないので止めそのままにしている。自然と時間の経過とともに治ると思っていたがそうでもないようだ。この痛み
は開胸術後疼痛症候群と呼ばれ、開胸術時に肋骨の下縁に沿って体を半周して延びている肋間神経も切り取ることと、鉤
のついた器械で肋骨を引き拡げることで切れた肋間神経をさらに鉤で圧迫して潰してしまうことが原因である。そのために通
常鎮痛剤といわれている麻薬性鎮痛薬等の薬は効かず神経ブロック療法と抗うつ薬や抗けいれん薬等の投与がおこなわ
れる。ペインクリニックではアナペイン注での神経ブロック療法をおこなっていたが余り効果はなかった。三環系抗うつ薬(トリ
プタノール錠)の投与に入ったがそれの副作用で気分が良くないので止めてしまった結果となった。この痛みのせいで快眠
は望めず呼吸や食事後に痛みを覚える。そのためか集中力も薄れてしまった。この症状も身体障害と認定されないかと思っ
ているがそうでもない。死ぬまでこの症状とつきあっていくしかないのか。

5月31日 社会保障費の増加と東日本大震災で税収の確保のため消費税の増税が検討されている。更に、年金の支給年
齢の延長も検討されている。社会保障費の負担の低減と収入確保のためにあの手この手で公務関係者も法的手腕を振る
ってきている。集めた金の使い道に関しては充分な審議もないままに、いるからいるのだという論理のため、対外的には日
本の国債の評価の格下げも表面化している。日本国民の体力ももう限界にきているかもしれない。勤勉と貯蓄率の高さから
推測される埋蔵金も気がついたら何もなかったという事態も懸念される。グローバル化した国際社会では、最終的には信頼
性が重要にある。期待できる見返りがあるかである。経済状態は金の流れ(価値の流れ)の勢いで決まってくるが、その価
値の認識が麻痺している場合が多い。かといって真剣に考えてもそれがどのようなものかを知ることは難しい。明るい未来を
期待することしかないのかもしれない。でも、苦しくても我慢して努力してれば何とかなった時代も懐かしい過去になってしま
ったようだ。

6月7日 福島原発から漏れ出した放射性物質の影響でいろいろな被害でている。目に見えない物質で、特殊な測定器等で
ないと測定できなく、放射性物質に関する専門家等が少ないため、更に風評被害で深刻な問題が発生している。放射性物
質による汚染等については、こんなに大量な汚染を考慮していなく、法令等の下で限られた区域内での放射線管理しか考
慮されていないため、このような状態に対して適切な施策が無い。危機管理や安全を考慮した設計指針は過去の事故等を
考慮しているためにその数値等にはある程度の妥当性があるが、完璧とは言えない場合がある。そのため、ソフト面での対
応が必要となってくる。ハード面が完璧でもそれを運用するソフト面が脆弱ではまともな運用とは言えないのだ。また、ヒュー
マンエラーも問題となる。そこには不慣れや不安が原因となっている場合が多い。更に他人を信用できないという不信が集
団的な不安を上長させる。それに対して、明日をよりよくしたいという前向きな気持ちと相互助長に満ちた社会が大切と言え
る。そのためには不安感・不信感を抱かせない政府が必須となってくる。

6月13日 先日行政書士会の理事会が開催された。本年度から理事に選任され、総務部と経理部の担当となった。行政書
士会の場合、二年毎の役員変更時に会長候補が複数人いれば選挙となり、それぞれの候補が公約を掲げる。今回選ばれ
た会長の公約の一つに会費の減額ある。費用対効果を追求することによって、活きた金の使い方を考えて、会員へのサー
ビス向上と経済的負担の低減を図るものである。そのような点では、トップが変わるのは歓迎される。行政書士会の会員に
は他の士業等の兼業者も多くいる。行政書士の業務内容が幅広く、他士業の独占業務の隙間の業務をおこなうため、兼業
者が増える結果となっている。時代の流れとともに必要とされるぎょうせいの業務内容も変化している。成年後見制度の需
要が増えてきているため、この分野での仕事も増え、会員への資質向上と能力担保の研修等もおこなわれている。行政と
市民間のコーディネターとしての職務も重要になっている。身近な「街の法務実務家」として、国民の利便に資することをメイ
ンに会の運営等に協力していくことにする。

6月19日 社労士会の年金相談実務者研修を受け始めて5ヶ月が経ち修了間近となった。年金機構になってお客様中心主
義での対応が気に入って、年金相談に協力することにした。老後等の生活設計には欠かすことのできない年金のため、正し
い情報の提供することによって、正しい権利行使を行えるように協力していきたい。そのためには、日々の研鑽と人間性の
向上も必要だと思っている。普通に仕事をしていると自己中心的になってしまって、他人に身勝手な価値観を押しつけようと
する。そんなことを長年続けていくと意識しないことは全く感知できないことになってしまう。俗に聞く耳を持たないということ
になってします。しかし、変な意味での気配りとその場限りでも共感する仲間作りが上手い場合もあり、軽視できない場合も
ある。それも仕事がある程度できるまでで、できなくなると影響力もなくなりただの口うるさい老人扱いされる。「他人の振り
見て我が振り直せ」となるのは難しいので、他人の言うことを良く聞く耳を持つようにしたい。

6月23日 産業発達と国際的な交流が容易になったため、グローバル化の影響で地域的個性が失われ始めた。そのため
か、マスコミのような媒体を通じての価値観の統一化と多様性という相反したことが生じてきている。何のために生きている
のかを溢れ出る通信媒体を通じて受動的に受け止めている。そこには個々が一体自分にとって何が必要なのかと問い詰め
ることもなく、ただ、受け止めているだけである。誕生してから老いて死んでいくまでの過程を歴史的価値観と言うより、商業
的プロパガンダによって決めている。それは数多くある宗教団体においても同様である。神や仏という絶対的な存在価値も、
もはやSFや神話の世界より現実味のない存在になったようである。人の感覚も映像媒体の進化により、仮想現実を当たり
前のように受け入れ、真実とは一体何であるかと考えることも無くなっている。それだけに人の心も感覚によって左右されて
いる。悲惨な出来事も数年経てば忘れ去られて、教訓がもはや機能しなくなっている。人々は歴史を知ることによって、己の
歴史も社会との関わりの中で己の存在価値を評価することも大切だと思う。

7月3日 文系・理系という分類がある。工業高校に行くつもりが中学校の教師が普通高校の理数科を勧めたのに反発して
普通科に進学した。進学校だったので、2年から文系・理系クラスに分けられ、数学が得意だったので理系クラスに進んでし
まった。数学が好きだったのではなく、つまらない数学の授業に他の教科の本を読んでいて叱られたため、数学の授業では
数学の問題集を解いていたためであった。当時の現代国語の先生の授業内容に魅せられて熱心に聞いていた。更に興味
を持っていた1年先輩が文学部国文学科に入ったので、後を追っていこうかと思っていたが、結局、選択の自由がある理学
部に行くことになった。教養課程では大学らしい講義内容を期待していたが、高校の延長のような内容にがっかりしていた。
それは独りよがりの感想だったかもしれないが、文系・理系という区分けのため変な偏見があったのかもしれない。物事を文
系・理系の両面で思考するのは有効であるが、それに心理的要因も加えると更におもしろみが増すことに気づいたのはつい
最近のことであった。

7月5日 景気後退のためか、金に困る人が増えた。金に困っても金を貸してくれるところも貸金業法の改正で少なくなって、
闇金が暗躍している。金に困った時に親族の金をあてにする場合があり、成年後見等の後見人等を親族にしている場合に
問題が生じる。家裁等では第三者が後見人等になるのを費用の面から親族等にするように勧める場合がある。でも、現実
問題として第三者が関与して管理を行うのが良い場合が多い。障害を持つ子と介護が必要な両親と金に困っている子(A)
という例がある。障害を持つ子(B)を病院から施設に移す場合、AをBの保佐人としていて、両親をケアハウスに入居させるの
に、Aを身元引受人とした。その際に、AがCと両親の預金通帳と印鑑を強引に取り上げ、お金を管理すると言い出した。Bと
両親の預金通帳には多額の預金があるが、その一部をAは私用に流用したい旨を言い出した。老い先短い両親にとって
は、障害を持つ子を不憫に思うため、B名義の預金残高はすべて残しておきたいが、介護の必要な状態で動きが取れない
のが現状である。私としては親族間の問題として法的関与できないので見守るだけである。

7月13日 暑い日々が続いている。そのためが調理した食品が腐敗しやすくなっている。昨晩調理したものが室温保管で翌
日朝には腐敗臭がしていた。雑菌等の繁殖が進行しやすいためである。また、放射性物質に汚染された食材に関する報道
もあり、精神的ストレスをもたらす要因も出てきた。安心・安全に関しては、精神的要素が大きい。実際の事故は起こるべき
して起きる。それなりの原因がある。そのためにそうならないように日頃から心がけるのであるが、複雑多岐にわたり全てを
知り、対応するのは不可能である。そのために安全基準を決め、それに適合した場合に安心マークなるものを付ける。その
基準を守れば安全かと言えばそうではない。国が定める安全基準に関してはある程度の余裕を見ている場合があるが、そ
れも経済性との兼ね合いで充分だと言えない。今回の東日本大震災の津波に起因した原発事故でも安全基準の見誤りで
その被害の程度を大きくした。初期投資とランニングコストを充分に回収できるシステムにしているにも関わらす、行政等と
電力業界等の馴れ合いが問題を大きくしたのかもしれない。

7月22日 インターネットの普及によって、ツイッターやプログが流行っている。その内容は様々であるが、個人的な内容が
大半で、ある意味プライバシーの公表でもある。プログの記載内容によって、その人の言動を判断される場合がある。例え
ば、その人が何かの犯罪を犯したという容疑のある場合、犯罪行為を構成するものの一つとして捉えられる。また、ある組
織に対しての批判的な表現が多い場合、問題人物としての捉えられる場合もある。ある士業会の会合で元警察官の会員が
他の会員のプログ等に興味を持っていてその内容に言及しいたことがあった。そこにはある意図的なものも感じられるが、イ
ンターネット上に公開されるということはそれなりの覚悟が必要とも言える。しかし、本人の意図に反して公開される場合が
あるのが問題である。個人情報保護に関する法律もあるが、それも片手落ちな法律である。基本的に社会という組織の中
で生きているために、組織維持のために個人はその中の構成要素にしか過ぎないという論理が主流であることを忘れては
ならない。

7月25日 風通しの良い2階が寝室のため温度管理を誤り風邪を引き、ストレスで扁桃腺炎を悪化させてしまった。咽頭部
の炎症だから耳鼻科に行けば外科的な処置で治りが早いかと思っていたらそうでもなかった。リンパ節が大きく腫れていた
が、ルゴールの塗布とネプライザー等の吸引治療とセフェム系の抗生物質とアンブロキソール塩酸塩等の投薬とアズノール
うがい液が処方された。喉の痛みが強く、肩が凝っているためか体調的には最悪だが、熱が出ていないのが救いだった。他
のクリニックで非ピリン系の総合カゼ薬も処方してもらい対処した。弁膜症の術後、循環器科以外には行かなくなったが、運
動不足と体力低下により、風邪になっても長引くようになってしまった。ストレスがかからないようにしていたのが、体力を弱
らせたようだ。適度なストレスを与えておけば、良いのであるが、日常生活を規則正しく過ごすことが大切なのかもしれない。
体には体内リズムがあり、それを崩さないようにメリハリをつけて明るく活きていくことも必要であるかもしれない。

7月31日 ゆうちょ銀行から同一DMで年金相談会開催のお知らせが2通も届いた。その中にご相談例として、「年金の受給
資格はあるの?」というのがあるが、相談者の年金記録がどのようになっているのかが解ればいいがその点が疑問に思う。
年金機構からねんきん特別便・ねんきん定期便等で年金に関する記録について皆様にお知らせ等を出して、正しい年金記
録がされているかの確認を重点的に年金機構は行っている。週に1日程度年金事務所のお客様相談室で相談業務を行って
いるが、年金記録に関して一番注意を行っている。その記録は個人情報でもあるため特に注意を払っている。相談内容によ
っては多くの申請書類の作成と確認事項等で1時間を超える場合もあり、年配のお客様にとっては大変だと思うときもある。
書類の多さには驚かされるが現在の運用では仕方がないのかもしれない。また、共済が別運用となっているため、更に複
雑になっている。年金のシステムの統一化と手続等の合理化が今後の課題となっている。

8月7日  人は生によって始まり、死によって終了する。でも、その人の生きてきた痕跡は死んでも残る。人によっては死後
の世界や輪廻を考えてなるべく功徳を積む人も多く、それらの人々によって人類愛の道徳観も築かれている。しかし、医療
制度の普及により長寿社会となり、病的障害により道徳より自己中心的な欲望が表に現れる場合がある。その一つに「認
知症」と呼ばれる症状で、記憶障害によって正常に判断できない状態である。生物学的に人の脳は本能的な部分や欲求の
強い部分が優位性をもっているため、他人の理解できない言動に対して攻撃的な反応をします場合が多い。正常な人でも
ストレスの多い社会で我を忘れる人も多くいる。そのような人でもふと我に返る時がある。そのような時子供のような穏やか
な表情を示す。明るい希望と楽しい思い出があるからである。凡人の私にとってはいっぱい楽しい思い出を残せるように生き
ているの最良と思っている。

8月11日 咳が止まらないため、呼吸器科のある病院に行った。問診のみでアレルギー性の検査はしなかったが、風邪(咽
喉炎等)によって咳のみが2週間程度残るという説明をうけ、漢方薬(麦門冬湯)と咳止め薬が処方された。その時に胸部レ
ントゲン撮影をして、その画像をじっくり見せてもらった。肺には炎症等の陰影もなく、胸骨をとめているワイヤーと心臓の僧
帽弁形成の輪が見て取れた。2年前の胸部レントゲン映像に比べて、小さくなった心臓が印象的であった。僧帽弁は正常に
機能することになったため、問題はないように思われるが、疲れやすくなった。心室の負荷状態を示すBNP値は50前後とほ
ぼ問題はないが、手術で刻まれた心房の状態は解らない。それに傷ついた肋間神経等の痛みが咳き込みとともに痛みを増
すときもある。薬を2年も飲み続けているため、体質的変化か、過敏症になったようにも思える。副作用の少ない薬であれば
いいが、そうでない。体力を回復させ、自己治癒力を信じたいものだ。

8月20日 バカンスと言う言葉がある。その言葉の由来はフランス人の長期休暇のことである。私も今まで2回このバカンス
を過ごしたことがある。最初のバカンスは海外青年協力隊でヨルダンにいたときである。当時電力庁のアカバ火力発電所に
いた時で、赴任後1年で電力庁の規程により30日の休みをもらった。アカバから北上してアンマン、シリアのダマスカス、ハ
レッポ、トルコの数カ所の都市をめぐり、ギリシャのテッサロニキ、アテネと周り、飛行機でヨルダンに帰って来た。4月でギリ
シャでは復活祭にも出くわした。アテネでは2泊3日の遺跡をめぐるツアーにも参加した。英語・フランス語のガイド説明付き
で20名ほどの参加者がいた。定年退職で世界一週旅行の途中の米国夫婦もいた。ガイドが遺跡の発掘調査経験者で、ギ
リシャの遺跡の下にいくつもの遺跡があるといる説明が印象に残っている。アテネの国立博物館の展示品等を見て、博物
館巡りに芽生えてしまった。2回目のバカンスは原子力発電所でいたとき、暇な時期があったので1ヶ月の休みをもらって、ヨ
ーロッパの6カ国を列車で旅をした。その時も英語を除く2〜3カ国語の説明表示を目にしたが、数カ国語を話せる人が普通な
んだということを実感した。

8月30日 先日社会保険労務士試験があった。試験の実施主体が全国社会保険労務士会連合会のため、試験監督等を社
労士会の会員等がおこなうことになる。私も今年で3回目の試験監督だが、今年は電力ピーク時での停電を考慮して、試験
開始時刻が早くなった。昔他の国家試験を受験したときには空調などなく、夏の暑い日中太陽光が差し込む試験会場で受
験したものも多くあった。二日間や三日間も連続して試験を行ったものもあった。午前99時前から始まり午後5時過ぎに終わ
る試験もあり、体力勝負といったことろもあった。社労士試験の場合、午前中3時間30分という長丁場で、70問の択一式問
題を解くのだが、内容が覚えていなければ解けないものが多く、一般的な法律試験のように法的思考を試すというより、実
務的知識を問うものが多くある。特に法改正されたところや話題になっていることろも出題され、多くの資料に目を通す必要
がある。試験は各科目ごとの足切り点があり、原則5点満点中3点以上必要だという選択式問題対策が必要不可欠となって
いる。監督署や年金事務所等で無料に入手できるパンフレット類でそれらの知識が容易に入手できる点では、行政での情
報提供が良くできている例と言える。

9月10日 1ヶ月以上原因が解らない咳に悩まされている。通っているクリニックの処方箋と点滴での薬液を見ていると医師
もいろいろと処方しているようである。先日、循環器科での定期健診でのBNP値は30位で心臓には負担がないが、相変わら
ず肋間神経痛での痛みがあり、咳と共に妙な苦痛をもたらしている。咳の原因が咽喉部での炎症として処方されていた
が、 アレルギーにも疑いをもって、それに対処する処方箋が出された。それにしても咳を止めるために毎回点滴をしてくれる
のはいいが、その作用が効き過ぎるのか、夜なかなか寝付かれない場合が多い。そのような時に限って翌日は朝から夕方
まで仕事で心身ともに疲労困憊する。これからどのようにすればいいのか、かかりつけのクリニックを替えるか迷う。風邪の
症状ならば直ぐにも改善するのだが、今回の場合いろいろな要因があるのかなかなか改善されない。ひょっとしたらよる飲
んでいるワイン等も原因しているのかいろいろ考えてしまう。血液検査等では肺炎はないと言っていたのが、日々の状況に
よって事故責任で無理をしないようにしなければならないようだ。 

9月18日 20代の頃、生き甲斐についてよく考えていた。経験が少ないため、宗教的なものに生き甲斐を見いだそうとしてい
たが、それは間違いだと気付いた。海外で経験、特にイスラム社会のヨルダンでの生活の中で気付かされた。それは神の
存在を前提として、生きていることの感謝の気持ちを祈りが生活の中で溢れているものだった。このことは日本でも同じであ
る。先日、善通寺に行って見た。多くの遍路姿の人々が般若心経を唱えているを見た。お経は神秘的であるが、唱えるだけ
では伝わらない、真剣な思いが必要である。ヨルダンにいたときシリアのダマスカスで、古いキリスト教徒の祈りの場所につ
れてもらた。その場所で、重苦しい念を感じた。迫害されたキリスト教徒がユートピアを信じて平和を祈った場所であった。そ
こには人を恨まない、我欲に溺れない、運命を受け入れるといものであるが、祈りではどうすることのない閉塞感が感じられ
た。それは現代社会でも言えることである。結果のみを求める競争社会では生き甲斐は勝つことを言ってるようである。ま
た、行動全てに価値を求めることも弊害をもたらしている。

9月25日 気候は秋で朝晩肌寒く感じられる。地球温暖化の影響で地球のバランスが変化して想定していなかった自然災
害が発生している。人類の経済の発展と生活の向上のために多くのエネルギーが使われ、多くの廃棄物が排出されたため
である。福島の原発事故の影響による電力の使用制限で、炭酸ガス放出規制も聞かれなくなったが、国全体で省エネに取
り組む風潮ができたのはいい。今年の夏は都会でのヒートアイランド現象も低減したらしく省エネ対策も功を奏した。しかし、
放出されるエネルギーと廃棄物により徐々に地球環境は変わりつつある。更に、欧米における通貨不安や開発途上国での
物価高等による市民の不満が増大傾向にあり、不安要素は多い。震災の復興財源の捻出と景気低迷による税収の減少
が、政府・地方公共団体の財政制を更に圧迫している。円高とデフレスパイラルにより、物価はまだ安定しているが、世界的
に見て確実にインフレで推移している。金融市場と現実の市場との乖離が生み出した矛盾が途轍もない人災を生み出す日
が来るかもしれない。でも、人類は今まで多くの試練を経験して復活していった。それを成功するためには世界的な意志統
一が不可欠と言える。

10月3日 年金事務所で週1〜2日の年金相談員をやり始めて2ヶ月が過ぎた。膨大な相談対応用マニュアルがあるが、実
際の実務に対応するにはマニュアルに書かれていないことも多くある。そのことに全く気づかずに後で職員から注意を受ける
こともある。相談で一番注意を要するのは年金記録問題で、相談に来た本人でも気づいていない年金記録が出てくる。その
場合、氏名の読み方や生年月日が異なる場合があり、数ヶ月しか在職していない場合でも、厚生年金等加入記録があり、
本人も覚えていないことも多い。離婚後、年金事務所に来られた女性の場合、第3号被保険者期間が出てきて、更に元配
偶者の年金記録が新しく出てくる場合もあり、元配偶者への問合せも必要となる。年金事務所としては中に浮いている年金
記録問題の解決を図るため、老齢年金受給者の年金記録に関しても注意を払っている。遺族年金等の請求に来られた場合
でも、亡くなられた年金受給者の年金記録も確認する。そのため、年金相談に要する時間は長くなり、高齢者には負担が大
きいと思いながら対応している。

10月10日 福島原発の事故で放射性物質が漏れ、現在も漏れている。放射性物質から放出される放射線による影響につ
いては原子爆弾での被爆国であるため多くの蓄積があるが、今回のような事故に対しては全く対応できていなかった。起き
てしまったことに関しては最善を尽くす必要がある。問題は放射性物質の除染と汚染物質の管理・保管である。私は以前原
発で放射線管理を行っていた。主な業務は作業での被ばく線量の管理と汚染物質の保管・管理等で、それと同様なやり方
で今回の汚染物質等を管理すると多くの人手と金がかかることになる。それに汚染物質を隔離・管理・保管する場所・施設
等が必要となり、広い面積が危険場所として長い期間占有されることとなる。どのように管理・保管するかも早急に決定する
必要があり、それに対して法令等の整備と予算を早急に確定する必要もある。費用を一体誰が負担するかも問題となる。そ
れは日本の原子力行政に問題であるが、電力会社のあり方についても考え直す必要もある。最終的には我々の負債となる
のだが、これらの失敗から多くのことを学ぶことができればいいのだが。

10月16日 資本主義経済体制の破綻が議論されて、ギリシャショックにより、資本主義国家間の運命共同体の弱体化が表
面化している。当初、通商条約から進展して、グローバル化により、運命共同体として相互扶助と弱者救済が当たり前とな
った。そのような風潮の中で、巨大経済大国の中国のように開発途上国であることを盾に外交交渉で優位な立場に立って
いる場合もある。そのような点で、戦後の日本は弱腰で、明治の日本の外交交渉のタフさはなくなった。そこには日本の教
育に問題があったと言える。画一的な教育指針で画一的な価値観しか生み出さなくなってしまった。そのため問題意識が薄
れ、事なかれ主義になり、前例主義で新規なものを嫌うようになった。政府・地方公共団体の財政に関しても、前例主義と
景気対策で予算増大で膨大な借財を抱え込む結果となった。ここで政策と運用を間違えればギリシャと同じようなことにな
る。日本国民の勤勉さによる潜在的経済力が評価され、まだ信頼性があるが、それも不安感をもたれるとあっという間になく
なる。資本主義経済での投資と金利の関係で、金利は信頼をベースに成り立っているため、小手先だけの施策ではなく、情
報公開を明確し、真実を明らかにすることである。それが責任感にもつながると言える。

10月23日 中国での出来事がインターネットで放映されて話題となっている。それはモラル問題であるが、正直者が損をす
るといった価値観も話題となっている。私は正直で正義感を持っていたが、それも単に自己満足にしか過ぎないと思ってい
る。日本でも真面目にやっているほど、個人的に批判を受ける場合がある。それは自己の存在感を感じるために他人を批判
的にいる風潮がるためである。秩序社会というより、言った方が勝ちという風潮があるのは確かである。人権の尊重というよ
り、自己中心的価値観を持って他人との距離を持っているし、他人から予想もしない批判・訴えを受けないために共存より排
他という自己防衛を取っている。その根底には、家族の役割が大きかったが、経済体制が価値観を大きく変貌させた原因と
言える。価値観のあり方が大きな問題であるが、面白く生きるために金銭価値を重要視するという価値観が主流となってい
る。人は生まれたならば必ず死を迎えるので、人権の尊重という崇高な志は子孫に伝えつづけられることができるし、伝えて
いかなければならない。

10月31日 TPP(環太平洋戦略経済連携協定)への加盟が話題になっている。TPPの発足当時の目的は、小国同士の戦
略的提携によってマーケットにおけるプレゼンスを上げることであったが、貿易自由化をめざし、相互の関税自主権の放棄が
目標となっている。それに伴う連携協定の項目も多岐にわたり、各国の特殊性により、その交渉内容の駆け引きが課題とな
っている。日本政府の場合、駆け引きが不得意なために、イエスマンに終始しそうだ。そこには利害関係が複雑に入り交じ
る中でとことん話し合い、合意を得るというより、根回しや力で押し切ることが原因している。日本人の場合、村社会の影響
がまだ濃いため、全体主義的な思考が強く出てくる。イジメもその影響の一つと言える。海外の民族間・宗教間の紛争もあ
るが、日本の場合、主張が明確ではない精神的な差別によるものが多い。その中で特徴的なのはプライドである。人として
のプライドならいいが、業務・職種内容によって上下間を求めた差別意識が問題になる。以前、社労士会の会合で、ある人
が某私立大学を出ていると自慢げにいい、私をバカにしたことがあったが、その時にいったい大学で何を学んだのかを疑問
に思ったことがある。

11月6日 先日 心臓弁膜症の術後の2ヶ月毎に1回の定期診察に行き、BNP値の検査をおこなった。検査結果は30程度
で問題ない。でも、採血の際に静脈を傷つけたのか、翌日から採血部付近から赤いアザが現れ、だんだんそのアザが広が
ってきた。アザの周りが黄疸のように黄色なってきた。中指と人先指に軽い痺れと採血部の痛みがある。日が経つに従って
アザがなくなるどころか大きく広がっている。色は濃い紫色であるが、裂けた静脈から血液が漏れ広がっていると思われる。
処方されているバイアスピリンも影響しているかもしれない。この薬の副作用として、重い血液成分の異常、皮下出血(血
豆・青あざ)など出血傾向がある。バイアスピリンの成分はアセチルサリチル酸で消炎鎮痛剤でアスピリンで知られている
が、抗血小板作用があるため、血管内の血液が固まるのを防ぐために用いられている。この薬を飲み始めて2年余りを経過
しているが、今回のようなケースは初めてである。開胸術の傷痕が未だに痛むのもこれらが影響しているかもしれない。処
方薬が変えられるのは、手術をおこなった心臓血管外科の検査・診察結果であるが、前回と同じで順調であるとして、処方
薬は一生飲まなければならないと思われる。

11月14日 先日行政書士試験があった。行政書士会の試験実施部門である総務に所属しているため、試験準備と実施を
担当した。試験監督員等のためのDVDヴィデオも用意され事前研修も行い、必要最低限の人数で試験の実施された。試験
当日はこれといった問題もなく無事終了した。終了後、余った試験問題をもらい受け問題を見た。判例問題が多く、本質的な
法的理解がなければ正答はできないように思えたが、他士業の短答式問題と比べてそれほど深い考察は必要ないように
思えた。問題の傾向としてはここ数年で大きく変わり、資格予備校での受験勉強より、大学の法学部でしっかりとした法律
的知識を学ぶ必要があると思われる。行書士試験問題は行政書士の実務的な内容を問うものではないため、試験に合格し
ても業務をおこなう場合に、業務に対する学習と経験を積む必要がある。逆に業務には精通しているが登録開業する資格が
ないために試験合格がなかなかできないというジレンマがある。他の士業試験の業務能力担保を試す試験とは違う一面が
ある。このことは今後の行政書士のあり方と存続意義との問題で抜本的な改革が必要と思われる。

11月22日 先日、行政書士会西支部の研修旅行で京都の宇治に行った。そこで源氏物語ミュージアムに立ち寄った。ミュ
ージアムでは源氏物語中の橋姫から夢浮橋の十帖に関しての物語シアターが20分上映している。源氏物語は高校の古典
で知り、最初の桐壺を暗記したことがあるが、最後まで読んでいなかった。物語全体が女性からの見たロマンス小説のよう
で、所々に載せられている和歌が趣があって大変興味をそそらせる。宇治を訪れた時はあいにくの雨で「つれづれと身をしる
雨のをやまねば袖さへいとゞみかさまきりて」と橘島から宇治川の流れを眺めた。昼食が喜撰茶屋の土産物屋であったた
め、京都名物のいろいろな生八つ橋の試食をした。抹茶・チョコレート等でいろいろな味を楽しんだが、土産物にはしようと思
わなかった。京都からの帰りに数カ所のPAでその土地の土産物が多く売られたが、一つも買わなかった。余りにも多くのも
のが有りすぎて、考えすぎてタイムオーバーになってしまうのだ。仮想世界より現実世界で喜びを感じるように生きていく必
要があるのかもしれない。

11月27日 欧州の金融危機・連合の構成国の財政危機が世界金融市場の信頼を喪失させようとしている。金と価値の流
れが正常に機能していないためであるが、昔ならば経済体制・国家体制等の崩壊で、新しい体制でリセットできたが、グロ
ーバル化のためにそうはいかなくなった。情報と価値観の共有化により、国家・民族意識より、価値観の共有が重要視され
た結果でもある。商業的イメージの日常化で現実より仮想(想い)が当たり前になっている。先日、NHKの番組でエア恋愛が
話題になっていた。メロドラマなんかの映像の世界と現実との区別ができなっているが、精神的疾患でもないので価値観の
問題としか認識されない。人類の歴史の中で、生き延びるために男と女を単位にする家族の形成が必然となり、本能的な
欲求とされてきた。それも刺激的仮想世界の浸透により、人としての育成が不完全となって社会性の欠如がもたらされた。
そのためか人と人のつながりが希薄となり、仮想世界に浸ったままの人が多くなった。そのようなままでの孤独死だけは避
けたい。

12月4日 先日社労士会の研修で職場のメンタルヘルス対策というテーマで講演があった。過労死・自殺とうつ病の増加に
よって経済的損失が大きいためであり、精神疾患と認知される事例が多くなったのもその一因でもある。文明の発展により
物資的に豊かになったが、社会を構成する人と人とのつながりと博愛的な考えが希薄になったためでもある。そこには戦後
の日本を支えてきた猛烈な仕事人間の父親と競争に勝ち抜くために教育ママになった母親と彼らによって育てられた子供と
の世代間の問題がある。労働力の需要のために核家族化が進み、親族間のつながりより、仕事に関してのつながりが増え
ることにより、社会的倫理観も企業重視に変わった。過労死という語は日本特有で海外ではないと言われて日本特有の文
化かもしれない。自己の存在価値を一生懸命に働くことに生き甲斐を見いだすしかないというのは精神的疾患かもしれな
い。価値観の相違によりもたらされる心の病が増えている。それらの対処は、薬物等により医療的処置より、博愛により生
きる喜びを分かち合うことにだと言える。それには知識教育よりモラル教育が重要になってくる。

12月13日 年の瀬になると冷たい北風と曇り空で、心が沈むことが多い。時折心臓病の手術痕が痛み、無理をした日の夜
は激しい動悸で目が覚める。将来に対して不安などはないが、年金事務所で多くの人の声を相談員として聞いているのも
原因かもしれない。精神疾患によって働けなくなって、障害年金に収入を求めるケースも多くある。精神疾患と言っても知的
障害・躁うつ病・総合失調症等様々で、ご本人かご家族の方が相談に来られる。診断書等の内容は別として、保険料の納
付要件や基礎年金を繰上請求をして受給要件を満たしていないケースもある。会社勤めで精神疾患によって休みが多くなり
退職、国民年金への加入となるが、保険料を納めていないケースが多い。そのうち家族が医療機関への診察を進め、精神
疾患であると診断され、それが初診日となる。家族からの支援で生活できるが、障害年金の存在を知り、相談に来られるケ
ースが多い。会社でのメンタルヘルスの重要性が強調されているが、初診日の認定という観点から、会社等での在職中にメ
ンタル健診を含めて、健康診断等を十分におこなって欲しい。

12月18日 地デジ・BS放送の普及によって、いろいろな番組が楽しめるようになった。その中に放送大学のBS放送での授
業配信がある。単位を取得するのではないが、講義の放送番組を見て聴講している。電子機器の利便性でPC用ディスプレ
イでも楽しめるようになり、インターネット等での情報収集と編集機能などをPCでできるようになった。そのためか、ディスプレ
イを複数設置する必要になった。疑問に思ったことはその場で情報収集等が可能になり、書籍を読む場合と違ってより視聴
覚的に把握できるようになった。そのような経緯で大学等での高等教育の存在意義が変化してきている。当初の教育の目
的は共通文化の形成にあった。言語・考え方等が共通してなければ生産性のある社会性は形成されないためで、マニュア
ル文化の走りでもあった。情報等の共有化が進み、マスメディア・インターネット等の普及により、共通意識の中での個性化
が進んでいる。個性化と言っても、多くの中から選択して個性を伸ばすといった段階で、新規創造といった段階でもない。そ
のようなことは精神疾患の分類にも現れている。選択と言う判断が難しい時代になったと言える。

12月25日 寒い日々が続き、風邪を引いてしまった。風邪とは呼吸器系の炎症性の病気であるが、私の場合、扁桃腺に炎
症が起こり鼻水が垂れる。風邪の場合、内科クリニックに行き、処方された薬を服用するのが常であった。最近では、蒸気
吸入器を購入し、吸入用薬剤等で喉の炎症を和らげるようにしている。その薬剤にはアクリフラビンとチモールという消毒薬
と殺菌薬が微量含まれている。アズレンスルホン酸ナトリウムも少量含ませた。この蒸気吸引で痛みは少し和らぐ。それに
薬局で購入した風邪薬を服用する。最近の風邪薬は のどの痛みや鼻水によく効く。成分を見ているとイブプロフェンの非ス
テロイド系消炎鎮痛剤が含まれ 鎮痛・解熱作用がある。カゼなど感染症による発熱やノドの腫れは、ばい菌を殺菌駆除する
ための自然な防御システムため、これを薬で無理に抑えれば、かえって病気そのものの治りを遅らせてしまい、ウイルス性
の病気に対してはむやみに熱を下げるのも問題がある。しかし、人間は弱いもので、根本的なものより身近な痛みや苦痛に
対してより過敏になるものだ。




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