H19年

  1/1  20年ほど前ヨルダンにいましたが、日本人は正月を祝日として祝うとして、1月1日は無理矢理に 休みを取ってい
ました。でも、いつものように、マーケットでヨルダンタイムズを買い、アパートで国営 放送を聴きながら新聞を読んでいまし
た。冬でも暖かく、ドイツ人が避寒地として来ていたくらいです が、冷房は必要なくゆっくりとした日が過ぎていたのを思い出
します。ヨルダンの祝日問えば、ラマ ダン(断食)明け、その日はヨルダン人には特別ボーナスがでると言っていました。そ
れだけ宗教色 の強いのですが、そのことはキリスト教社会においても同じことです。ここで、祝日とは一体何かを 考えてみ
る必要があると思っています。

 1/4 元旦は朝7時前から琴平の金比羅宮まで歩いて行きました。本宮の手前で足が引きつり、転けそ うになり、参拝
後、家まで歩いて帰れるか心配でしたが何とか昼までに帰れました。普通に考える と変わった人と思われるかもしれませ
んが、歩きながら四季折々の景色を見ていると楽しくなるので す。昔、アスレチッククラブに入会して水泳とかジムに汗を流
していましたが、続かず無駄に会費を 納めていた時がありました。高い会費を納めているのだから、有効に利用しようとして
無理をして筋 肉痛になり、結局疲れただけでした。時間があれば、歩くことでストレスを解消し、新しい自分を知る ことに気
づいたのです。無理をせず、でも一度決めたことは必ず最後までやり遂げると。

 1/7  年を取るにつれ、何事にも保守的になる。今までやってきた通りにやっていれば間違いないし、 安心できるというこ
とである。でも、世の中の変化は大きく、言葉の意味でさえ違ってくる。そんな変 化の中でも自分を失わずに生きていくが大
切であるが、競合他者に勝ちそして利益をえなければな らないという現実が待ち受けている。その現実を直視し、それに自
分を対応しようとすると大変疲れ ると思う。パソコンや携帯電話もその一つであるが、安易なコミュニケーション手段・情報取
得手段と しては便利なものであるが、うわべだけで物事を捉える傾向が多くなってしまった。それだけに、短 絡的に現実を
直視し過ぎるあまり、好奇心・夢がなくなっているといえる。

 1/12産業の発達に伴い地球環境が徐々に変化している。異常気象もその一つであるが、それが普通を 思え、安定してい
るというより、予測できない不安定さを感じる。日本においても出生率の低下と高 齢化により、社会構造は大きく変化してき
ている。それに想像を超える犯罪件数とその異常性の増 加 がある。自己中心的で、興味のあることにしか意識を持たない
人々も増えてきた。全く価値観の 違う人々も増え、それが個性だと喜べない面に遭遇する。また、既得権と称して、不要な
権利を振り 回すことも目立つようになっり、社会的・法律関係の安定性も失われたと思えることもある。本来ある べき姿を見
えない人々が増えたせいかもしれない。

 1/19 先日申請書を役所にもっていたが、混んでいたので、電子申請にて提出することにした。意外と簡 単にでき、これか
らはインターネット回線での電子申請が主流になると思うが、現状の制度では数 多くの電子証明書を所有することとなる。
先ず、個人認証用の証明書でこれは住基カードと一体化 している。さらに、各士業毎に電子証明書が必要となる。その電
子証明の更新期間も手数料もまち まちなので、一括しても欲しいものである。書類が電子ファイルとして保存管理が容易に
なり、事務 処理の効率化にいい。しかし、まだ、現物の書類の郵送が必要な場合も多く、二度手間に感じる場 合もある。で
も、パソコン等の電子機器を駆使すれば何とか合理化できると思っている。

 1/29 1月29日に行政書士試験結果発表があった。試験内容が変わってからの初めての試験で、合格 率が5%を切る
というものでした。問題内容は基礎的な法律知識等と記述問題で、実際の実務とは 離れた感があるが、最低限必要とされ
る内容です。大学等の専門教育を終了しないでも、専門家と して認めましょうという試験だからです。仕事を処理していくに
は、多方面に渡って考える必要があ り、社会の変化に対応できるプロとしての自覚と気質が必要なためです。それは何よ
り、国民の利 便に資するという目的で作られた行政書士の使命のためだと思っています。試験合格は最初にス テップにし
か過ぎません。

 2/2 私の住む町の町議と町長選挙が始まった。顔の知らない多くの候補者が訪ねて名刺を置いてい く。だた宜しくお願
いしますと言うだけで、一体何をしてくれるのかハッキリ言わない人が多い。町の HPで、議会の議事録等を見ようと思っても
掲載されていないため、一体何をやってくれているか解ら ないし、マニフェストなるものもない。選挙時期だけ顔を出し、ただ
お願いコールをされても、こちらと してはどの様な基準で選んで良いか解らないのが現状だ。知らない間に公共施設が建
ち、町の借 財が増えている。こちらのお願いも聞いて欲しいが、伝える方法も聞く手段もないみたいだ。そんな 自治体に誰
がしたかと言えば町民だから仕方ないが、ただ、候補名を連呼するだけでは、うるさいと しか言いようがない。

 2/8 受験シーズンが始まった。少子化と団塊世代の大量定年で就職状況が良くなってきているが、よ り就職に有利な学
部の人気が高いようだ。入る大学・学部によって、卒業後の人生が決まるかもし れないが、まだ、決められずに転職を繰り
返す人も多い。社会人大学院や技能習得や資格取得の ために専門学校へ通う人も多くいる。産業の発達による価値観の
急激な変化に対応するため、その 時に応じた知識・技能の習得は必要不可欠なものとなってきている。学校だけの教育で
はカバーし きれなくなってきているは事実だ。生きていくためには一生勉強を余儀なくされる時代になったと言 える。でも、
賢く生きる知恵は自分でつかむ必要があるが。

 2/16 古くなったデスクトップPCの中身を一新しようとしたが、結局安いパーツを購入して1台作ってしま った。ハードは安
いが、ソフトはやはり高い。VISTAへの無償アップ版のウィンドウズXP(PRO)を購 入した。20年以上の前のことを思うと今の
PCはすごいの一言である。しかし、インターネットと無償ソ フトのため、PCがウイルスやスパイソフトに汚染される危険性で
てきた。PCの立ち上がりが変だと 思ったら、案の定スパイソフトに汚染されていた。仕事でのパソコン操作より、セキュリティ
のために 時間を費やすことが増え、心配事も増えた。文明の発達とともに予期せぬ危険が増えてきたのも、 文明の発達の
弊害かもしれない。

 2/22 数日前から、父親がインフルエンザで40度近い高熱を出し寝込んでしまった。もう80歳を超え、ひ ょっとしたらと思うよ
うになった。人は生まれた限り例外なく死は訪れる。生きている間何も親孝行ら しいこと何一つしてなかったと悔やんだ気に
もなった。毎朝近くの病院まで車で送り迎えをしている とき、小さくなった父の姿を見て、元気でいてくれと願った。病院での
点滴のおかげが徐々に元気を 取り戻しつつある。寝ているのが辛いらしく、熱が下がっては椅子に座ってテレビを見始め
た。熱を 出す前は、夜遅くまで焼酎を飲みながらテレビを見ていたのだから、もうじき焼酎を飲み始めるのを 楽しみに待って
いる。いつまでも元気でいてくれと

 2/25 人は年齢を取るにつれてぼけてくる。欲ぼけや依存症によるぼけも出てくる。経験や知識が増える と賢くなると思っ
ていたが、変な欲を持ち自己中心的になり、周りを偏見な目で見始める。純粋で一 途な人を単純な人と判断し、蔑む傾向に
さえある。それに現実からの逃避か、実行の前にあれこれ と思索をめぐらし、妄想とも思える思い込みをしている人もいる。
現実と思い込みの世界が判別つか なくなった人もいる。テレビやパソコンの影響かもしれない。それがオタクといわれるレベ
ルならまだ いいが、社会生活の基本とされるモラルを失った人々が多く現れきている。

 2/28  豊かさとは何か?不自由なく欲しいものが手にはいること、それとも、ストレスがなく思ったように 生活ができるこ
と?豊かな社会にいて、そんなことしか頭に浮かんでこない。人類のDNAには、劣 悪な環境で人類が生き延びてきた知恵
が隠されている。生命存続への問題解決のためには人の 寿命は短すぎるため、生命としての知恵をDNAに託したのであ
る。強いものが生き残るのではな く、 共同生活の中で子孫を残しいくため、弱者である子供・女性を大切にするというDNA
がある。し か し、豊かさの中で、果てしのない欲望がそれらが大きく歪めてしまった。さらに、豊かな愛情によ って 育てら
れなかった結果かもしれない。

3/6 信頼を獲得するには多くの時間を要するが、一度失った信頼はなかなか取り戻せない。私は人を 疑わす信頼する方で
あるが、嘘を言われたり、軽蔑的な態度を取られると、その人に対する信頼は ないものとしている。その人の性格の問題も
あるが、それはその人の人生だから否定はしない。で もその性格は直るものではないから、信頼関係を持って接するとまた
裏切られるという経験から、も はや信頼関係を持たないで接することとしている。だからと言って、それらの人に絶対、嘘を
言った り、軽蔑した態度では接しないこととしている。

 3/10 失敗は成功のもとという諺があるが、失敗という認識すらもてない人が増えた。失敗というからに は目標を持って努
力しているのが前提にあるが、自己中心的に行動しているため、障害があると他 人が悪いと思うのだ。短絡的なその場だ
けの言い訳が、今まで通用してきた結果かもしれない。豊 かさの中である程度の自由が保証されていれば、他人の言動な
どに注意を払わなくなっている。 道 理が合わなくても面倒な他人との関わりを避けてきた結果かもしれない。でも、そのこと
が移り気 で 協調性のないという現代日本社会の特色かもしれない。

 3/15 インターネット上であらゆる情報が入手できるが、その信頼性については疑問に思い、考えてみる 必要がある。情報
の事実確認が一番難しく、言葉による情報ほど当てにならないものはない。言葉 はそれをとらえる人によっていろいろと解
釈が異なることが多い。正確だと思われる計測器の表示 数値にしても疑問に思っている。4桁の表示だとどこまで正しいの
だろうか?正直に考えると0.01% の精度がある?そんな馬鹿なといつも思っている。でも、それを受け取る側がそれでもよ
ければい い のではと居直る時の方が多くなる。情報過多で情報を感情で受け止めるようになったのかもしれ な い。

 3/20 インターネット上であらゆる情報が入手できるが、その信頼性については疑問に思い、考えてみる 必要がある。情報
の事実確認が一番難しく、言葉による情報ほど当てにならないものはない。言葉 はそれをとらえる人によっていろいろと解
釈が異なることが多い。正確だと思われる計測器の表示 数値にしても疑問に思っている。4桁の表示だとどこまで正しいの
だろうか?正直に考えると0.01% の精度がある?そんな馬鹿なといつも思っている。でも、それを受け取る側がそれでもよ
ければい い のではと居直る時の方が多くなる。情報過多で情報を感情で受け止めるようになったのかもしれ な い。

  3/25 春になり、卒業から就職という新たな人生を歩む人達が多くいる。就職しても3年後には大半が止 め、新しい職業・
勤め先に就くという時代になった。私もやりたい仕事を選んでやってきたため、多く の職種を経験してきた。そのためか、そ
れまでに既得したものに対しての執着心がない。人によっ ては、既得権を作り上げ、それを権利として排他的に競合者を排
除する人もいる。昔と違って大きく 価値観が変動する社会にあって、その流れに逆らうような自己防衛を行っている人達に
は困る。そ の多くは公務員のような職種に多く見られる。安定した体制がそうのようにさせるのだ。

 3/31 桜が咲き乱れる様になり、うきうきとした気分になる。春は生命が躍動し出す時期でもあり、一年 の中でもっとも印象
深い時期でもある。選挙時期にも重なり、騒がしい時期にもなった。夕張市での 職員半分の退職と新たな再出発で、地方
行政も新たな転機にさしかかっているが、相変わらず選 挙での候補者の連呼が続いている。国民不在の行政にはうんざり
しているが、空手形の振り出し に よる税金のばらまきだけは止めて欲しい。それに不要なハコモノ・高速道路もそうだ。身
勝手な 既得 権だけを掲げて真実を隠すのだけは止めて欲しい。

  4/8 デスクトップパソコンをVista Businessに変えてから2ヶ月が過ぎた。パソコンを使い始めたのが30年 前で、パソコンの
誕生期から使用している。パソコンが本当に身近になったのはここ10年でインター ネットが普及し始めてからで、普及台数も
増え、経済効果で安くなり使い勝手が良くなったためであ る。機能も多目的になり、インターネットを通じてあらゆることが可
能となった。携帯電話と共に必須 のアイテムとなり、歳ととに衰えてくる記憶力や好奇心を高めるにはいいパートナーかもし
れない。 でも、人と人とが実際に対面しての触れ合いが少なってしまった。

 4/11 先日の女子大学生の自殺について、大学における教官の適正について考える必要があるといえ る。学者の書いた
書籍で、日本の学者とアメリカの学者のものとを比較するとその差は歴然としてい る。それは私の個人的な意見かもしれな
いが、日本の学者のものは本当に解っているのかといい たくなるものが多く、独りよがりなものが多い。いかにも実社会か
ら隔離されたものの見方され、古 典崇拝的で現在社会の変化に対応していないと言える。いろいろな価値観があっていい
のだが、偏 見で将来のある若者の芽を摘まないことを祈るだけです。

 4/19 人類は一人では生きていけないが、その発達しすぎた脳をお陰で、社会性と個性をうまく使い分 けることがでる。し
かし、自己中心的に生きることを選んだ人々はその機能が欠落している。相手の 立場を考えて行動すればいいのだが、好
き嫌いに似た判断で対応するため、周りにとんでもない不 快感を与える場合がある。一方的な思いこみで行動するため、良
識ある人々にとってはそれも個性 だと思われるが、明らかに反社会性を有する場合も多い。自己中心的で、他人の犠牲に
よって自己 の思うようにことを進めようとしている。それも治療ができない精神障害かもしれないし、社会自体が そのような
ことを助長しているとも言える。

 4/28 5月の連休に突入したが、私にとっては5月から始まる国家試験への追い込み時期に入った。この 歳になると記憶
力と集中力も低下して、覚え理解することが苦痛になった。20代にやっておけばもう 少し簡単だったと思うが、惚けた頭に刺
激を与えるためにチャレンジをしている。これが法律と社会 への再認識であり、新たな自分の生きる道と考えている。多くの
ことを学び、それを社会貢献に活か すことがこれからの人生として生きたいと思う。決して自己中的にならず、他人を見くび
らず、明るい 夢のある社会の形成と発展のために。でも、最終まで行けば10月まで過酷な試験が続く。  

5/12 五月の連休が終わり、初夏らしい暖かい日々が続いている。マスコミでは事故のニュースで盛り 上がっているが、事
故は起こるべきして起こる。そのため、事前に回避することは可能である。しか し、予想がつかないことで起こる。それは、
危機を意識をしていないためであるが、常に張り詰めた 緊張感を持っていたのでは精神的にまいってしまう。そのため、安
全基準を設けて、安全な運用をし ているのだが、それに至るまでのプロセスを忘れ、表面的なものにこだわるようになった。
つまり、本 質を忘れてしまっている。学問にしても同様である。本質的に考え、理解して、実践して、その結果 をまた検証し
ていく。この繰り返しにより、より真実をつかんで欲しいものだ。

 5/21  先日、ある国家試験の短答式試験があった。受験した教室は論文式試験での物理工学選択者 で試験免除者の
部屋であったためか、欠席者はほとんどいなかった。試験問題は、法令の正確な 理解と問題文の正確な分析力を要求され
るものが多く、また、判例等の論点問題もあった。短答式 試験の結果発表までは少しあるが、7月の論文式試験受験に向
けて頑張るしかない。この年にな ると、記憶力と体力の低下で新しいものへの挑戦は辛いものがあるが、常に夢に向かい
ワクワクし て生きているという実感を得る。学ぶことにより多くを知り、そして己の無力さを悟り、賢く生きてい く。天寿を全う
するまでそれを続けていきたい。

  5/26 先日、私の所属している士業会の総会があった。私はその士業会の現状のあり方に多くの問題 点があり、解決へ
の施策はないものと思い参加はしなかった。総会の結果の詳細は不明だが、現 在の派閥紛争にはある程度の見通しがつ
いたものと思っている。士業会は士業全体と国民の利益 のためにあるものだが、一部の者達の利益確保の身勝手で士業
自体の評価が下がってしまった。 我こそはと思っている人も多く、その世間知らずな面に興醒めすることもある。報酬を得な
ければ業 務並びに生活自体を維持できないのは確かだが、報酬とは一体何なのかを解っていない人も多 い。ただ、士業
会の幹部だから偉いということで、クライアントから多くの報酬を得れるということでも ないが。

  5/28 私の趣味に遺跡見学がある。文明の変移を実際に残る遺跡から感じようとするのである。博物館 巡りも好きであ
る。どこに行っても、遺跡と博物館はみている。特にロンドンは私の好きな場所で、 博物館も多く、街にいると落ち着く。ま
た、ギリシャも好きなところで国全体が古代遺跡の上に建て いる。遺跡をみて感じるのは、文明間において継続的なつなが
りがあるかと言えば、そうでない場 合も多い。それが文明の変移の面白いところだが、偶発的に文明ができた訳でもなく、
そこには何 かしら必然的要素が感じられる。人類は歴史からの教訓を学びより発展していったというより、色々 な欲望の調
和で成り立っていった感じを受ける。人類の特異とすべきところは、欲望によって多くの 文明を生み出しては壊し、未だに欲
望の中でさまよっているところである。  

6/13 先日、ある人の年金加入記録の確認のために社会保険事務所に行った。多くの相談者で所内は 混雑して、待ち時間
が長く、いらついていた人も多くいた。年金加入期間の確認で、複数の年金番 号が出てきた。それがその人のものである
かは、厚生年金では勤めていた会社名と勤務期間、国 民年金では住所地等で、それらの証明書類等を揃える必要があ
る。社会保険事務所に行く前に、 履歴書を作り、学校を出てから、今までの職歴等を確認しておく必要もある。今までの人
生を顧みる いい機会かもしれない。年金に関しては、私は、インターネットで、年金個人情報提供サービスを利 用している。
しかし、パソコン操作に慣れていない世代には窓口に行った方が楽かもしれない。

 6/20 ニュースで冤罪で刑期を終えた人の再審についての報道があった。責任を問われない公務員の 最も悪い面が浮き
彫りになった。私も数年前に地方公共団体が運営している施設の管理をしていた ことがあった。その際に、多くの公務員を
見て驚いた。公務員の女性非常勤職員へのセクハラなん か日常茶飯事のように思えた。また、エリート意識で保守的にし
か仕事しない公務員もいた。昔は 業者から研修名目の接待を受けたと、何かを強要するような発言もあった。当時のそこの
責任者は 女性非常勤職員へのマンション・高級車購入等による問題があったが、健康上の理由により退職で 済んでいた。
上げればきりがないが、こんな公務員のために税金を払いたくないと思うのはおかしい ことだろうか?

 6/25 先日のスパ施設での爆発事故で、犠牲者が出てから行政の指導・規制が始まることが解る。可 燃性ガスの発生
は予め解っていたことで、その発生によっては火災・爆発が生じることは解っていた ことと言える。しかし、法令等で設備や
刑法設備の設置が行われていてもそれらが正常に機能する ことを点検等していなければいけない。以前いた施設の消防
設備は外部業者が行っていたが、特 殊な消火設備については点検報告書があるが、実際には点検していなかった。その
ことを点検者 責任者である外部業者に聞くとそんな点検市内の業者の誰もやっていないと切られたことがあっ た。そのとき
仕方がないと思った。点検有資格者だけの資格ではその設備を分解して点することは 実質できないのでは?と。私も甲種
消防設備士だが、ある種の矛盾を感じた。  

7/3 先日久しぶりに京都へ行ってきた。京都駅付近の変貌ぶりには驚いたが、京都の町並みは昔の ままで健在であっ
た。京都市学校歴史博物館に寄り、明治以降の京都の学校教育にかける歴史を 見てきた。明治2年に京都住民の努力と
献金により64校の番組小学校が設立され、今の京都の教 育伝統が形成されたと実感できた。また、芸術・工芸に対する教
育(後継者育成)も素晴らしく、多く の京都の日本画画壇の俊英を排出してきた。博物館には彼らが出身学校に寄贈した多
くの作品も 展示され多くの感動を得ました。ただ税金を出すだけではなく、無駄に税金が使われることなく、若 者達が明る
い夢と希望を持てるような社会にするため、大いに政治・行政に意見を出していく必要が ある。それが、政治の原点だから
である。

  7/9 自動車学校に行って2種免許取得にチャレンジしています。当初、大型免許のつもりが、道路法改 正で12Mもある大
型車を動かすの疲れると思い普通2種にしました。久々の学校で、交通マナーも そうですが、今までと違った面で色々なこと
を学びました。大学とかと違って、この学校を卒業してと いっても運転免許の保有率が70%を超える社会にあっては、普通
すぎることかもしれません。でも、 再認識するのもいいかもしれません。以前、ある士業の会で、ある人がその人の出身大
学出の数 人が士業の世界で成功しているので、その大学の出身であることを私に自慢していたことを思い出 しました。そ
の人が成功しているかどうかは別として、一体大学で何を学んできたのか? 今の大 学教育について疑問に思う毎日で
す。

 7/12 頑張っているのに失敗するケースが多くある。その多くの原因は「思い込み」からくるものである。 この様にやりたい
という強い気持ちから、行動前に色々と成功をイメージする。しかし、そのイメージ も独りよがりなものが多く、イメージと現実
の区別がつかない場合がある。それは幼少期からの教 育が原因しているが、それを学校教育のせいにはできない。多くは
親を見て子供は育っているから である。自分以外の他人の存在についてあまり気にかけていないからである。最も社会性・
協調性 が要求される人類にとっては金と権力を手に入れるのは最も魅力的なことかもしれないが、人類の 歴史の中であら
ゆる環境から生き延びて今の子孫を残してきた人類の英知を親子・教師・学生間で もう一度真剣に考えて欲しいと思う。

 7/17 運転免許センターに行き、最終試験にパスをして無事2種免許を得ました。当初、今までの優良免 許はなくなるの
かと心配していたが、結局交付日から5回目の誕生月の翌月までであった。今まで の普通免許は中型車限定8t未満となっ
た。道路交通法の改正により、普通免許取得後1年間は事 故・違反等が多いと言うことで見習い期間のような扱いになって
いる。1年間に4点以上の違反等を すると、1年後に再試験を受験して、学科・実技を合格しなければ免許は取り消しとなる。
今まで香 川県で1千人余りの人が再試験を受験したが、数人程度しか合格せずに後の人は免許取消となっ たとの説明を
受けた。その事は仕方ないことでもある。運転に対する適正や安全意識が欠如してい る人はなるべく運転を控えて欲しいと
思う。周りに迷惑をかけても、その事を認識しない人が多いの は事実です。また、安かろう、悪かろうではいけないのも事実
だし、独占業務にあぐらをかいて自助 努力をしないのも考えものである。

 7/23 自己啓発の一つとして、ホームヘルパー2級の講座を受講することにした。年老いた両親の将来 訪れる介護への
準備と新しい視点を持つためである。介護の基本は人間らしい生活を被介護者の 納得した形で送れるように手助けをするこ
とである。その具体的な手法についてはあらゆる観点から 最善を尽くさなければならないが、現実は想像を絶するものがあ
る。しかし、加齢等に伴う障害に関 しては、人類誰しも避けられないことであり、お互い協力しあって克服していかなければ
ならないこと でもある。そのためには、打算的にならず、これが人類に与えられた社会的義務としての認識が必 要と言え
る。それには、深い愛情・慈愛が自然と身についていることが必要である。社会教育とし て、家庭並びに学校でその事を意
識してお互いに語り議論して欲しいものだ。

 7/31 東京の霞ヶ関にある厚生労働省で行われた年金相談研修に参加した。社会保険庁の改革と年金 規則問題への
対応等についてあるため、全国より多くの社労士が受講していた。また年金制度改 正もあるため、年金制度をより一層複雑
にしている。年金制度も戦前からの歴史を一つ一つ押さえ て理解していけば難しくないのだが、初めて見る人にとっては複
雑怪奇なものに思えるかもしれな い。そして、年金相談においても、相談者のプライバシーに関する事柄について聞かなけ
ればなら ない点が多くあるため、ある意味難しい点がある。年金問題を争点にした参議議員選挙も終わり、 政府として多く
の問題点を解決していかねばならないと思うが、小手先の対処だけで本質的な解決 を後回しにしないで欲しいものであ
る。

  8/12 20年ほど前、中東のヨルダンのアカバに2年ほどいました。今時期の日本と同様に年中を通じて大 変暑いところで
した。でも、ヨルダン人の多くはパレスチナ難民で、イスラム教徒であるが、私にとっ ては穏和な人々でした。遊牧民から受
け継がれた部族社会の名残か、仲間同士の結束が強く、イ スラムの教えによる貧しい者へ施しの気持ちがあり、プライドが
高い人々です。強い太陽の日差しを 遮る木陰で、甘い紅茶(シャイ)をすすりながらボーとアカバ湾を眺め、時折吹く海から
の風に心地よ さを感じたのを思い出します。彼らも部族社会から近代社会へ、さらに現代社会への段階を一気に 駆け上っ
た感じはありますが、まだ、彼らの持つ良いところは失ってはいない。今の日本社会の方 が、多くの歪みを生み出し、心の
ない人々を生み出している気がする。特に、自己中心的な人が、 心の欲求にままに発言並びに行動するのには、ある種の
病的な怖さを覚える。その発言・行動を学 校教育で教える断片的な理由付けを行おうとしているからまだ始末に負えない。

 8/19 信頼関係のない対話が多く存在する。その場合、全くといっていいほど意志の疎通がなされてい ない。思い込みの
ため、話の内容のすれ違いが生じるが、すれ違いを修正するのも大変なため、た だ曖昧にしている場合が多い。その事は、
ビジネスの場合でも当てはまる。そのため、お互いの意 志の疎通を明確にするために契約書にするのである。日本の社会
ではまだ、契約という概念が浸 透していないが、従来は倫理観がそれを補っていた。その倫理観も大きく崩れてしまってい
る。それ は、学校・家庭教育に問題があり、生活の中で学ぶといったことをしなくなったせいでもあり、直ぐに 結果を出し、優
劣決める傾向が強くなったせいでもある。また、表面的な感覚で対話をする傾向も多 くなっている。本質に触れないで、お互
い対話をゲームのように楽しむ。そのような中にはもはや心 のこもった暖かい気持ちなど感じられなってしまった。

 8/23  人は自己中心的で、社会は自分を中心に回っていると思っている。でも、その社会の範囲が小さ いため、他人の
社会と摩擦を起こす場合は少ない。でも、その社会の中に他人が入り込むと縄張り 意識が働き、摩擦を起こす。でも、同様
の価値観等により、共通社会を作り上げている場合がある。 そのような共通社会が大きな社会を形成している場合もある
が、その中でも多少の歪みが生じ、常 に仲間達の出入りが生じている。人の心の中は常に自己中心的であるため、自分の
縄張り社会を より大きく思い、他人の社会の中で土足で踏み込んでくる人も多い。心優しい人々は、来る者は拒 まずであ
るが、それを勘違いして、威圧的にでて、結局は優しき人々に心を傷つける場合を多く見 る。

 8/31 先日、ホームヘルパー講座の3回目の実技スクリーングを受講した。いつも新しい発見と体験がで きるので楽しく学
習している。それは本当に学びたいという欲求が出てきたかもしれない。最近人生 に疲れ、寝付かれないが、一度寝たなら
ばそのまま死んでいてくれと思うこともある。それは、自分 の居場所を見つけられないで、ただ時間を無駄に過ごしてきたせ
いである。多くの人に会い、その 人の人生に感動して、多くのことを学ばせていただく。そんなことを遠い昔に忘れてしまっ
ていたが、 この受講を機会として、1日に必ず1つの有意義なことを学ばせていただくことにした。有意義といっ ても、良いこ
とも悪いことも、楽しいことも悲しいこともあり、いろいろだが、赤ん坊のような目と心で、 新しい自分の居場所を見つけること
にした。人は生まれるべきして生まれ、その存在価値は在るべ くして在るのだから。

 9/7 誰も自分の思い通りに出来れば良いが、現実はそうはいかない場合が多い。特に、周囲の意向を 無視してやろうと
した場合はなおさらである。人によっては、権力者や上位の者の権威を傘として言 葉だけでねじ込もうとするのもいるが、横
から見ていて滑稽だし、可哀想にも思える。そういう人に限 て愛情豊かな家庭で育っていない場合が多く、親を見て育って
いるのか、親も自己中心的な場合が 多い。人間は社会性を要求される生物であるが、個人主義の為か個性尊重のため
か、協調性を軽 んじられた教育が主となっている。協調性といっても他人のことを思いやることでいいのだが、その 事は海
外においては生活に密着した宗教的生活で補充されている。生きていることに感謝を捧げる ことはすべてのことに感謝の祈
りを捧げることに過ぎないからである。

 9/13  先日阿部総理が辞意を表明したが、私にとっては誰が総理になっても同じように思える。今の政 府には大きな改
革が必要であるが、利害関係のある人々にとっては、大きな変化は摩擦のようなも ので居心地の悪いものであるからであ
る。年金問題に象徴されるように、金に関しては多くの不明・ 不自然な点があるが、税金を納める国民には現実を知らない
方がいいといった政治家のずるさがあ る。国民の知る権利に関してはある程度保証されているが、それもケースバイケース
といったところ で不鮮明さを感じる。理由のある税金の使用ならばいいが、多くの場合釈然としない後味の悪さを 感じる。政
治に対しても、釈然としてない後味の悪さに慣れてしまったのか、真剣に関わりたくない のか、無関心となってしまった。そ
んなことより、映画でも観て爽快感を得たくなる。

 9/21 他人と有効な意志の疎通を図るのは大変難しい。人によっては話しかけてもその事を理解しようと しないで、その
事の否定から入る場合もある。つまり、自己中心的でありたいし、他人事なので気に もしない行ったところである。協調性は
生物が進化・繁栄するための必須の性質であるが、人はそ の事を快楽の為に忘れてしまったようである。その事は人が生
まれてからの幼児期・思春期におい ての教育が大きく関わっている。その教育には家庭環境も大きく関わりを持っている。
遺伝的は気 質の差もあるが、人は本質的には学んだ範囲から逸脱はしない。性善説・性悪説というより、何をな すべきか、
何をしたらいけないかを考えることを学ぶ必要があるといえる。また、学ぶゆとりも必要で ある。

 10/3 もめ事は簡単に解決したいのだが、感情的になっているため、最終的にはお互いの妥協で決着し ている場合が多
い。しかし、他人のもめ事に第三者が介入した場合話はややこしくなる。権利とか 法律とか言い出すため、争点をかえって
複雑にしてるケースが多い。裁判での係争の場合も、もめ 事を法律論で解釈しやすくして、判断の根拠を明確にし白黒をつ
けるのだから、当事者にとっては納 得いかない場合が多い。お互い譲歩して意見を聞けば良いのだが、感情的になってい
る場合が多 く、後に紛争の種を残している。博愛とか、世の中のためとか言っていると、腹黒い人々にいいよう に使われる
場合も多くある。誰しも、自分だけは楽して生きたいと思うのは仕方ないが、他人の犠牲 を前提としないで欲しいものだ。

 10/12  人にはその人独自の哲学を持っている。哲学といっても、難しい学問体系を言っているのではな く、その人が必
死に生きてきたという事実から生じるものである。でも、その価値観がそれぞれ異な るために、人との会話(やりとり)には
面白いものがある。意外性があり、こんなとらえ方もあるのか と感心することも多く、多くの新鮮さを感じることが多い。生き
るっていうことは、そのワクワクした気 持ちを持てることだと思っている。自分自身の世界を築き、そのに閉じこもるのもその
人の人生かも しれないが、その世界を築いては壊し、また新たに築く。それは今までの哲学を壊すのではなく、新 たな方
向性を見つけることです。生物の進化もそのようなものだと思っています。良きにつき悪しき につけ、あるがままを受け入
れ、それから自分なりに消化すること、そして身につけることだと思って います。
 10/15 人の問題行動にはそれなりの理由があるのだが、その理由が解っても対処に困る。熱血漢で思 い込みでやって
いるのか、それとも軽い記憶障害(認知症)か、うつ症状なのか、判定はしにくい が、本当に迷惑な行為である。それを病気
だと思えばいいのだが、そのように割り切れないのだ。 その人にとっては真面目で真剣な為である。その人の言動の矛盾
点を述べ、問い詰めると急に泣 き出すこともある。感情が表に出て、記憶には喜怒哀楽しか残っていないのである。直ぐ忘
れるの だとか、それは私のやり方だとかいい訳するし、本人は真面目である。真面目で、ゆとりがないから そのようなこと
になるのだ。これもストレスを解消することを知らない結果かもしれない。

10/25 秘密とは、一般的に知られていない事実で、かつ、知られていないことについて利益があることと 客観的に認めら
れないものとある。秘密にしたいことと秘密を知らせたいことは相反することのようで あるが、どうも知らせたいという人の持
つ集団的仲間意識が強く働くようである。20年ほど前にヨル ダンにいた時、技術指導の際に一人のヨルダン人に「お前だけ
に教えてやる」というと、真剣に聞き 入っている。その事は本人だけが知っていれば、他の人の優位に立てるが、どういう訳
か、みんな の前で自慢げに話してしまう。それが、自分に関係のない他人の秘密や個人的プライバシーならな おさらであ
る。個人の尊厳の重要性について教えられなかった結果、いろいろな意味で無責任な行 動にでる人が多い。

 10/30 問題行動を起こす人には、いろいろなパターンがあるが、認知症などの疾病によるものと過度の 思い込みによる
が多い。認知症の人と話していても普通の人と変わらないが、喜怒哀楽の感情面 が表に強く表れて、突然に豹変すること
がある。思い込みの強い人は人の話を聞こうとするが、一 端決めたことは例え間違っていても変えようとはしない。両方の
共通点は、周りを見ないで感情的に 自己主張だけをするといったところである。まるで幼児のような行動であるが、そのよう
に割り切れ ば良いのであるが、現実としてはそうはいかない。否定するわけもいかないし、共同社会の調和面 で受け入れ
ることも出来ない。かといって、法律などで規制することも基本的人権問題となりかねな い。

 11/02 11月になり、後2ヶ月もすると平成20年に突入する。輸入品が軒並み値上がりして、物価上昇によ る影響が出始
めてきた。上昇傾向にあった景気も先行きが見えなくなり、来年は今年より生活苦が 顕著になりそうである。物価が上昇し
ても、年金は思ったより上がらないし、財源不足により消費税 も上げられる可能性が高い。年金問題に象徴されるように、
政府の金に対する認識が変わらない限 り、独りよがりで、偏った金の使い方しかされない。予算の切り下げは福祉・医療関
係に大きく影響 を与えている。この様な中で、ストレスにより精神的疾病が増加し、社会全体が病んでしまた。最近 では元
気で活発な子供達も見かけなくなってしまった。まだ、物がなかった時代の方が精神的に豊 かだった。

 11/09 今月6日で、7月半ばから受講していたホームヘルパー2級のコースを無事終了した。このコースを 通じて実に多くの
ことを学ばさせていただきました。人は普通に生活できることが当たり前のように 思っているかもしれないが、何らかの原因
で身体的・精神的に障害を負い普通に生活することが困 難な人も多くいる。それらの人が普通に生活できるように支援をし
ていくことの大切さを知りました。 部屋に閉じこもっていることも多く、精神的にも前向きでなくなり、昼間からウトウトしている
場合も多 く、人との交流が少なくなり、孤独感と無気力な人も多くいる。それには必要とされているという希望 を持たすこと
が必要です。今後、介護の場でのボランティア活動も開始したいと思っています。

11/15  信頼を築くには多くの努力と時間がかかるが、失うのは簡単である。信頼関係の基本となるの は、信義誠実であ
る。これは民法の基本原則でもあるが、ただ、法令遵守するという意味だけでは 済まされない。でも、力関係で歪められるこ
とも多くある。権力をつかむと人はその権力を決して離 そうとはしない。社会情勢によりその権力の行使内容も変化しなけ
ればならないが、以前のままの 権力行使を使用とする。その良い例が公務員である。既得権とか既成事実とか言って悪し
き慣行で 本来の職務を忘れている。知らぬ間に税金として徴収され、知らないところで浪費をしていることも。

11/25  先日、メインパソコンのハードディスクが壊れてしまった。重要なデータはUSBメモリに記録しておいたのでさほどの
影響は出なかったが、復旧に丸一日を要してしまった。このホームページのデータも一緒に消えてしまった。それと前後し
て、コピー機として使用していたデジタル複合機も故障して、修理費とランニングコスト等を検討した結果、新しく購入すること
となってしまった。技術革新のおかげで機器の買い替えのスパンが短くなった。これは技術に限らず、社会のニーズも大きく
変化してきている。私たち士業に対するニーズも変化して、既得権などといっておられない状態になっている。そこには国民
の生活に利便に資することが本旨だが、法律上の独占業務ということでその権利をあまりにも主張し過ぎているようだ。

11/27   先日ある研修を受講した。内容としては手続代理人になるための集中講義、グループ研修とゼミナールからなっ
て、最後に試験があった。その研修も3度目ということがあって、最終の試験対策に対する私的な勉強会のようなものがあっ
たらしく、終始最終試験対策をやっていた人が多くいた。民法、民訴法等の基本的な考え方と手続で、代理人として何が必
要かを理解するものであるが、基本的なことの理解というより、暗記型で対応していた人が多いのには残念な気がした。そ
れまでに幾度となく会で司法研修とかやっていたはずだが、基礎的な法律の理解がなされていない人が多いのにはびっくり
させられる。

11/29   営利だけを追求するだけが企業でしょうか? 企業内で一体どのような社員教育をやっているのか疑問に思う事例
がある。中堅といわれる企業での管理職経験者の例で、普通の社会ならば通用しないのだが、それが俺のやり方だといっ
て周りに強要するのがあった。違った見方をすれば、ガキ大将のような言動だが、苦情がでなければいいといったことであ
る。慢心なのか、周りを見ないのか、それとも周りの状況を判断できないのか不明であるが、企業として協調性や秩序維持
を重視するならば、誰かが注意なりするべきだったと思う。ある程度の年齢になると、もう修正が効かないし、本人も自覚す
ることもできないから厄介でもある。企業は人を育てる視点で人作りに励んで欲しいものだ。

12/3 書籍とは何か? 書籍を所持しているだけでその内容を所有しているような錯覚に陥る人が多い。外国語辞典を持っ
ているだけでその外国語を読めることを他人に誇示しようとする人もいた。そんな人に限って高学歴な人が多く、形だけを整
えようとする。例え知識があっても、その言葉を話す国に行ってどのようにコミュニケーションを取るのか?。文字情報は限ら
れているし、著者の一歩的な見解が書かれているため、捉え方によってはいろいろと解釈できる。最近の書籍は感覚的な
記載が多い。思い付きを並べただけのマニュアル本のようなものも多く見かけ、内容は比較的薄い。それは今の受験勉強
の影響かもしれない。

12/12 10月に初めて受験した宅建の合格発表が先日あった。かろうじての合格だったが、合格証書が届いたときは嬉し
かった。今まで多くの国家試験を受験して多くの合格証を得てきたが、この年になると、覚えることが苦手になってしまって
いるからである。土地・建物についての知識は絶対必要だと思い、8月半ば過ぎから参考書に目を通してから覚える量が多
くて半ばあきらめていた。でも、今まで勝手な思いこみで見ていた土地・建物についても商取引の観点から見ると新しい発見
もあったし、新しい価値観を得て良かった。でもその知識は曖昧になってきたので登録のための実務講習を受けることとし
た。これからはボケと倦怠との戦いで、新しい自分発見をすることにする。

12/20  韓国の大統領選があり、野党ハンナラ党の李氏が圧倒的な指示で選ばれた。資本主義社会の歪みである貧富
の差を改善すべく、指導力のある実務家が支持されたのである。日本の総理大臣は韓国における大統領とは違うが、日本
国のリーダーとしての職責を行って欲しい。多くの圧力団体の代弁者のような代議士のまとめ役のような存在で、風見鶏の
ような総理もいたし、誰がなっても同じよなものがある。日本の社会が、開発途上国以上に開かれたものではなく、未だに、
「御上」政治である。その基礎には村社会という縄張り意識の強い社会が根幹にある。そこには、明治維新の新しい日本を
作ろうとした改革の気風はもはやなく、やる気のない無責任な「お役所仕事」と称される形式的な金の無駄使いしか思い出
せない。




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