H20年

 1/1  今年も元旦に家から歩いて金刀比羅宮に参拝してきました。片道およそ14kmの距離であるが、金比羅宮の本殿ま
では2時間30分かかった。琴平町内に入ると、うっすらと雪が積もっていて北風が冷たく感じられた。空は雲こそ少しあるが、
快晴で本宮からは遠くの山々が見渡せた。帰り道、走り去る多くの車のナンバープレートを見たり、街並みの風景を見たりし
ていろいろと思いを巡らしながら家まで帰ってきた。毎年元旦には歩いて金比羅宮へ参拝に行っているが、徐々に体力の衰
えを感じるようになった。最近歩くことや運動する事がめっきり減った為でもあるが、やはり日頃の不摂生が主な原因であ
る。そんなに長生きしようと思わないが、健康でストレスのない生活を送りたいと思っている。今年はいろいろな課題がある
が、確実に最後まで計画取りにやり遂げることを今年の抱負とします。

1/6  老いてくると、心身ともに衰えてくる。若い頃のように無理が利かなくなり、保守的に考えるようになる。安定を求めよ
うとするためである。でも、社会的価値観の変化により、今までの価値観が通用しなくなるが、頑固におのれの価値観によ
る生き方を貫く人も多くいる。なるべくストレスを避けようとする為でもある。でも、思い通りにならない時もあり、ストレスを感じ
る場合も多くある。そのストレスを解消する方法が人によって様々である。解消の矛先を全て他人のせいにする者やアルコ
ール・ギャンブル等に求める者もいる。また、人の特性である知性、つまり、文化的創作にストレスの発散を求める人もいる。
文化的想像力を常に持つことにより、前向きで若々しい心を維持していきたいものだ。それには、協力して生きていることは
楽しいことだということを小さいときから教える必要がある。

1/12  先日関数電卓を購入した。数値計算ならば、パソコンでExcleでやっていたので新しい関数電卓は必要ではないと
考えていた。でも、ある国家試験の受験を考慮して購入したものであった。値段は2千円もしないが、微積分等の計算が簡
単にでき、いいおもちゃを買ったといったものである。高校の時、数学同好会に入っていて、アナログ計算機で、あまり理論
的なことも解らずそれを使って遊んでいたことがあった。電気回路の特性を利用した計算機であるが、計算尺のようなもので
あり、今のデジタル計算機とは異なるものであった。人間の脳はデジタルとアナログとの両方の要素があり、その特徴をうま
く利用したものであるが、どういう訳か感情というフィルタでその答えが色々変わり、計算前に希望する答えに向かって都合
のいい計算過程を創作するので厄介な存在でもある。

1/19  先日十数年会っていなかった知り合いから電話があった。相変わらずその日暮らしの生活をしているらしく、仕事も
少なくなり、サラ金で借金して返済に追われどうしようもないと言っていた。2度目に電話があったときは、借金が返せないか
ら数万円を貸して欲しいと言われたが、断った。例え貸したとしても返してくれる保証もないし、信用している訳でもない。な
るようにしかならないが、金は命の次に大切なものである。今の世の中、信用よりかは金であり、人の信頼関係は金銭問題
によって直ぐに壊れる。それだけ、古き村社会の構造は崩れしまった。年金問題、医療問題等の社会保障制度も国等の借
金財政で破綻して、貧しき者には憲法で保障された文化的で最低限度の生活ができなくなってきている。

1/25 冬らしい天候で、風が強く寒い日々が続いている。一人でいるときは暖房をしていないので、室温は摂氏15度と超え
ることはない。足温器で足だけを温めると何とかなるため、エアコンも石油ヒーターも余程のことが無い限り使わない。地球
温暖化対策でもなく、ただケチなのかもしれない。地下資源は消費すれば再生もできなく減っていくだけである。資源が底を
つく頃には科学技術の進歩で何とかなるかもしれないが、その頃には今以上に色々な面で貧富の差が大きく開いている。
持つものと持たざるものとの差である。お金は形があるようで無いもので、その価値は変化もする。今の社会ではお金はいく
らでも作れるため、溢れ過ぎたお金でその存在価値もはかないものとなる。それ故に存在価値を高めるものを身につける必
要があると思う。

2/2  今の時の人と言えば、宮崎県知事の東国原知事である。彼の素晴らしいところは、国民の関心を地方行政に向けた
ことである。本来地方行政は市民との協働でなわれるべきであるが、市民の無関心と行政側の正しい情報公開がなされて
いなかった為、形だけのものになっていた。政府主導でのトップダウン地方行政から本来の地方自治になるべきだが、財政
のメカニズムの不備と国民を行政に無関心にしてきた政府の施策がそのようにしてきたと言える。税金の使われ方も、特別
会計予算等を含めてガラス張りにしなければいけないが、余りにも不明瞭な点が多すぎ、肝心な所は公開されていない。そ
れは現実を国民に知られたくない官僚と政治家の策略かもしれないが、正しい情報公開はなされるべきであるし、国民も知
る権利を行使すべきである。そうしなければ、赤字財政の解消もないし、明るい未来も期待できない。

2/8  節分が過ぎたが、相変わらず寒い日が続いている。春になると新芽が出てくるように何かが変わると思いたいが、現
状維持か、今より悪くなってくる。人は思い込みで動いている方が多いので、変な期待をし、現実を直視しない。現実的な人
との関係より、仮想的な社会への逃避で、自分だけの社会を作り上げている人が多い。そのためか、気配り・心配りをいう
言葉も死語になってしまった。それは現代社会人が、サービスを最も有効なビジネス手段としてしまった為である。そこには
マニュアル化されたサービスが一つの物差しとなり、何か寂しいものを感じさせる。人の感じ方がそれぞれ様々であるが、や
はり「感謝の気持ち」が最も大切なものである。それは生きていることに感謝すること。周りの全ての人によって支えられて
生きていることにも感謝することである。

2/13 心理分析の一つに、その人の生活歴史を分析していく方法がある。その時、その人の立場に立った場合、性善説的
な判断で解釈していった方がいい場合が多い。しかし、対人関係にあって、利害関係が生じる場合は、性悪説に立って判断
した方がいい場合がおおい。信用と期待はできないのを前提として、処理する方がいいのである。だから、決まり事や相互
間での契約書を締結するのである。その決まり事や契約内容が曖昧な場合が多くあり、都合のいいように解釈して、感情的
なトラブルが発生して、問題を一層大きく発展していった例も多くある。社会環境が人の生活歴史に大きく関わっているた
め、人の情緒教育と倫理・道徳教育が必要と言えるが、今の日本の教育システムにそれを求めるのは無理だと言える。あ
らゆる面で、性善説に立てる社会を構築する必要があると言える。

2/22  先日、宅地建物取引主任者の登録のために、県の担当課に登録申請に行ってきた。手続は電子申請でも可能で
あるが、面倒な点が多くあるため、申請書類を持参した。宅建試験の受験手続も電子申請で出願し、他の国家試験も電子
申請で願書を提出した。その場合受験料が若干安くなる場合や願書の送付に係る費用がいらない等ことが魅力的で、大い
に利用したいものである。役所への手続の大半は電子申請が可能となり、代理申請を行う場合、事業所の電子証明が不要
でIDとP/Wと私達士業の電子証明で可能となった。電子申請ばかりやっていると役所の窓口の状況が解らなくなるという不
安があるが、行政側がHP等で充分な情報公開をやっていただければいいと思っている。また、個人・企業情報保護の観点
から留意すべき点も多くあると言える。

3/1  3月になり、少しは春らしい兆しが見受けられるようになった。ドル安と米国の大統領選挙で、世界経済も波乱を含ん
だ展開が予想されるが、中国の躍進に押された感じで、まだ不安は少ない。物の流れが経済活動の指標であるが、その物
には目に見えない知的価値も含まれ、その価値評価もニーズによって左右されることが多くライフサイクルの短いものとなっ
ている。需要と供給による価格も、ある程度は操作も可能であるが、最終的には不安という指標によって大きく変わる。つま
り、市場のパニック状態は不安材料の蓄積により、思いもよらない展開に発展する危険性を含んでいる。自由経済と統制経
済が共に両立しているように見える日本の経済も、借金財政という不安材料がなくならないという問題点を抱え、新たな新
年度をもうじき迎えようとしている。

3/8  3月1日より労働契約法が施行され、労使間の紛争防止と労働者の保護と個別の労働関係の安定を期待するもので
ある。日本の歴史の中で契約という言葉が法律として使われたのはつい最近のことである。それも、消費者保護とかいった
弱者救済のものから始まったものが大半で、今回の法律も政府主導の救済策の一つである。しかし、法案成立の過程審議
された内容を見ると法律の内容としては曖昧で、今までの労働紛争訴訟の判例の趣旨等を並べたものになってしまった。そ
のため、今後の展開をみて適切な修正がなされることを期待したい。また、個別の労使間の契約といっても、元々、村社会
の気質のある日本人にはそれがどの程度の意味を持つのかを理解するには相当時間がかかりそうである。

3/14  うまくいっていない時に、いつかは大きく化けてうまくいくようになると何度となく言っていた知り合いがいた。そのよ
うに言う人に限って、計画を立て、それを実行し、結果を反省して、計画を立て直すようなことはやっていなかった。単に思い
だけで、それを他人に伝えると他人がそれをやってくれるように思っているらしい。歴史を見ると、改革となるような時には、
多くの犠牲が発生していし、希望に向けて最大限の努力をしている。しかし、うまくいかないのを他人のせいにして、愚痴ば
かり言って、真実に目を背けている人が多くいる。大きなスパンで物事を考えることもなくなってきている。直ぐに結果を求め
るという風潮のせいかもしれないが、短絡的で感情的な人が増えたのは事実である。文明の発達ともに心の拠り所が大きく
振り回されている結果かもしれない。

3/21  インターネットの発達により情報収集やコミュニケーション手段が一段と良くなった。しかし、それら情報の信憑性と
発信する方のモラルが問題となる場合が多くある。先日もある士業のプライベートなメール会のメールの内容に適正を欠く内
容のものがあった。プラ-べートな会のものだから勝手かもしれないが、模範とされるべき士業であるので、信頼を損ねる行
為は極力避けるべきである。でも、その行為がいいのか悪いのかを判断できないのかもしれない。社会的協調性が取れな
いから、士業という一人親方の世界しか生きるすべがないのかもしれない。また、専門士業ということでその視野を狭くし
て、既得権にすがっているようで、社会の変化に対応できないばかりか、本来必要とされているお客様から相手にされなく
なっている。そればかりか、会を盛り上げようとして入会してくる会員に出しゃばるなと言わんばかりの会幹部もいるから困っ
たもんだ。

3/28  先日社会保険労務士の第3回紛争解決手続代理業務試験の合格発表があり、1912人が合格して、通算して7082
人の合格者が特定社会保険労務士として、紛争解決手続代理業務を行えるようになった。でも、特別研修等を通じて感じら
れることは、個別紛争の代理人としては不適確な人が多く見受けられたと言う点である。今まで企業サイドの手続業務が主
流であって、就業規則等の作成と言ってもマニュアル本を参考にした業務で、労働現場を知らない人達に、対立する主張を
整理して、双方納得する解決策を提言できるとはとても考えられない。労働契約法が制定され間もないが、生半可な知識で
かえって労使間に新たな紛争の種をもたらさないか懸念する。会の重鎮が特別研修の内容は実際と違うといっていたが、個
人的には特別研修の内容に関しては労働法と労働問題に精通した弁護士が作成されたもので大変いい内容になっている
と思う。

4/1 4月1日から、高齢者医療費の軽減する狙いである後期高齢者医療制度が始まったが、年金制度と同様に一般の人
にとってはわかりにくい制度となってしまった。また、メタボに象徴されるように生活習慣病による医療費の軽減策も本格化
して、体系的もスリムになることを強要されるようになった。物価上昇や経済社会体制への不信によって、多少に関わらず国
民の大部分はストレスを感じるようになっている。そのストレス解消も選択の余地は少なくなり、自虐的な傾向も出てきてい
る。テレビやゲームの影響か短絡的な行動も多く見受けられ、その傾向の増大によりパニック的な集団行動も顕在化しつつ
ある。他人への批判・攻撃も節度のないものとなってきている。そこには信条というよりかは、心情的な憎しみの念が多く感
じられる。健康は健全な心身である必要から、心の病もいろいろな面からフォローしなければならなくなってきている。

4/5  私の所有資格を整理してみると、その数は30に達していた。これだったら資格取得マニュアル本でも書けるかな?と
思っているが、好奇心で取っていったため、これを資格取得マニュアルにするのは難しい。でも、資格取得の面白さならば伝
えることができると思う。社労士試験を受験したのも社会保障制度をより詳しく知りたかっただけだし、行政書士試験も行政
の仕組みを知りたかっただけだが、受験勉強から多くのヒント(好奇心)が得られ、新聞やニュース等で社会情勢がいろいろ
な面から考えられるようになった。難しいと言われる試験でも基本が最も大切なことで、その次に大切なのはメンタル面であ
る。試験問題を読んだとき、平常心でないとよく読み間違いをしてしまう。常に平常心を維持できるように単調な作業でも間
違えなくこなせるように、常に心身の鍛練も不可欠である。それにそのことが好きになることも大切なことであり、無駄なスト
レスをかけないようにすることも必要である。

4/11  生物はその種の保存のために、共通意識を持っているようだ。それは意識的なコミニュケーションとは違ったもの
で、双子がよく無意識に意思の疎通を行うようなものである。昔、深層心理学の学者が人類には共通意識が存在するといっ
たのと同じかもしれない。人類は高度に知能が発達したため、そのような認識が薄れたかもしれないが、人類の発達心理に
おいて重要な意義があると言える。愛情や喜びの中で育てられなかった人々は何らかの形で破壊的な行動に至る傾向にあ
る。人々の集団と言われるものには何らかの共通意識があるが、それが良いか悪いかに関係なく集団の構成員に無意識
のきまりとなっている。別の面から見ると、発達段階での深層心理で似通ったもの同士が集団を形成する。社会制度の価値
観の相違で、いろいろな集団が形成され、その中で多くの共通意識の相異が生じ、その軋轢で憎しみにも似た感情も多く見
られる。

4/17  法律は、紛争の予防のためにある反面、法律に違反したら罰則がある。でも、法律を知らないというか、周知されて
いない場合が多くある。交通違反のように、予め免許制度にしている場合は言い逃れできないが、労働基準法のように使用
側がその内容に精通しているかが不明な場合がある。そして、労働基準法違反に対して結構重い刑罰が制定されている
が、そのことを知っている人は少ない。また、最近制定された労働契約法の出現で、労使間の法律関係は一層複雑なもの
となった。労使間の立場の相違から、このような法律が制定されているのだが、欧米のような組合等の団体組織が充実して
いればいいが、日本の場合、使用者側・強い者の意にかなうような形を取る場合が多い。更に、行政・政治も同様である。
古き良き日本の風潮がなくなり、弱者・少数者の切り捨てが、日本の現在社会のモットーとなってしまった。

4/22  生命体は種を維持するために学習機能を持っている。この機能のお陰で環境に対応して進化しているのであるが、
その基本的なシステムは科学的に解明されていない。感情も同様であるが、その中で愛情が文明の発展と共に薄れつつ
ある。また、体制の維持のためには、反体制は排除するのは人類の歴史から明白であるが、その傾向も露骨に強固になっ
ている。それは人類の社会性という習性のためであるが、その体制自体に学習機能がないのは一番の問題と言える。多数
決の論理は最も確からしい思えるが、集団的パニック状態になれば、それも凶器となりえるからである。しかし、人類の長い
歴史を見ると、人類は何とか生き延びてきている。最終的には生命体の持つ遺伝子に託された愛情が人類を救ってくれる
かもしれない。それには毎日感謝の念で生きていく必要があると思う。

4/28  ガソリン等の暫定税率と後期老齢者医療制度等で、今の政府は国民に嫌われているようである。それは政府が説
明責任を果たしていないためで、官僚の思い込みと思惑で、国民不在の政策運営の結果でもある。金が回らなければ、日
本経済も成り立たないが、その金の回り方に問題があり、その指標となる政策理論と経済論理ははなはだ旧態のもので抜
本的な見直しが必要である。まだ、日本民族は一部の例外を除き、他文化の侵略や迫害を受けていないため、至って穏や
かな民族性を持ち、村社会を基本とした暗黙の信頼関係でいままでやってきた。でも、それも今後の政界経済の情勢では
今の経済体制を維持できなくなり、国民相互間の信頼関係も薄れ、最終的には日本国民性もなくなるかもしれない。それに
対処するためには、強いリーダーが必要な時かもしれないが、ファシズムだけは避けなければならない。

5/3  5月に入るといろいろな会の総会が開催される。昨年のある士業会の総会は大変だった。それは、会長・支部長選挙
に関してで、その関係者の醜態は今の日本政治の縮図だと感じている。その発端は会費等の不明瞭な使用と会長等の肩
書きの濫用であるが、支部長選挙に関しては、現支部長が支部会で自己の励ます会の開催までやってのけた。その会の
後で新入会員に対して昼食を接待したということもあった。その費用はどこから出たかは不明であるが、これらのことを平然
とやるから怖い。金と権力はその目的と使命に沿って行使されれば問題はないのだ。でも、それをただそうとして、厄介なこ
とに巻き込まれたくないのが心情である。倫理観と正義観は必要だが、そらが当たり前でない社会には、それが反逆者の
ような悪者にされるのが常である。世の中は裏表があるのが、その存在は有意義で価値あるものであって欲しいものだ。

5/4 労働事件の裁判審理は通常の民事裁判と異なっている。それは否認ではなく、抗弁で対応する点である。労使間の
主張に対して、それを真摯に受け止めお互い解決策を模索しようとする狙いであるが、現実問題として、訴訟の場に上がっ
てこない事件も多くある。それは、使用者側が雇用上の問題で法令違反をしていても労働者側からそれを言い出せない場
合が多い。一度解雇を言い渡されて、解雇無効の訴訟を起こしても、最終的には解決金で解雇維持をなる場合が多く、その
ような提訴をするような労働者には就職先がないのが現状である。雇い入れに関しては、雇い入れる側の自由であるからで
ある。また、日本の経済構造が下請等の中小零細企業が大半を占め、非正規社員・派遣社員等の増加がこのような問題
が表に現れない理由の一つである。でも、このままでは労働者の二極化が進み、日本経済の全体的な衰退は避けられな
い。政府は土木関係に多額の税金を浪費する前に、労働資源の有効活用を推進すべきである。

5/9  GWも過ぎ、徐々に初夏の気配を感じさせる日々が続くが、物価上昇に税金と金がかかることが続き、頭の痛い日々
も続いている。一体何を切り詰めていくのか? でも、生活を維持するための最低限の必要費用はかかる。年金生活者のお
年寄りによっては、少ない年金からの天引き徴収でとても生活できないとういう人も出てきている。そういっても、今まで苦労
して買った土地家屋があるため、生活扶助等も受けられない人もいる。子供等が親の面倒を見ることはほとんどなくなり、場
合によってはリストラされた子供等の面倒を親が見ているケースもある。法律には親族間の扶養は当たり前のように書いて
いるが、それも現実として難しい。日本国民に文化的な最低限の生活を保障した憲法も具体的な運用に関しては、行政の
裁量で判断するという司法見解もあり、現行の行政施策では、切り詰められるものは文句を言わないお年寄り等の弱者かも
しれない。

5/15  パソコンの不調で、マザーボードを交換することにした。応急措置として、PCI用ボード2枚を使い、動いている状態だ
が、音声が出ない。電子機器とは、私が小学高学年からの付き合いである。その頃は今では珍しくなった真空管・トランジス
タの時代で、本・雑誌を頼りに自作していた。その頃よく見ていた雑誌が「トランジスタ技術」で、学生時代、技術者をやって
いた頃の愛読書となっていた。電子機器・技術の進展にはめざましいものがあり、家庭電化製品から産業用機械まで多くの
分野で使用され、必要不可欠なものとなっている。でも、集積回路が膨大化して、その品番でその機能が分かる位で、昔の
ように回路を見て理解すると言うことはなくなってしまった。それだけ、開発には莫大な動力・費用が必要となってしまった
が、産業の基幹には違いないのである。電子機器関係だけは、好きなような設計図を描いてそのように作ることのできる技
術分野であるからである。

5/22  先日、測量士補試験があり、合格ラインを遙かに超える得点であることが判明した。この試験はある国家試験の試
験免除のためであるが、これで、計量士、測定士、測量士補等で化学的物理的測定の大部分を扱えるようになった。これら
の中で最も興味深いのは、測定の精度と誤差の取扱いである。法律的には、ある範囲を超えると違法とされたりするのでそ
の境目付近にあると判断が大変である。アスベストの含有量測定もやったことがあるが、物理的量といっても相対的な判断
しかできないから大変である。すべての測定は相対的な量の測定であるため、自ずと主観的要素が入ってしまう。これらを
排除して、正しい値に持って行こうとするのが、誤差の取扱いである。人の思いも同じであるが、感情によって、その判断基
準が大きく変わるし、同じような感情形体を持っていないと相手にされないから話がややこしくなる。人の場合は、誤差という
か価値観の相違であると言える。

5/28 先日故障した自作パソコンを修理する際に、少し大きめのケースにしてみた。ケースが大きくなっても、別に邪魔にも
ならなく、安定感があり快調である。今まで思い込みで小さければいいと思っていたが、考え方を変えていろいろとやってみ
ることも必要である。人との接し方でも、相手に常に「YES」を求めて、「NO」という人を避けるか、最初に出鼻をくじいて言うこ
とを聞かせようとする人も結構見かける。また、都合のいい嘘をつく人も結構いる。嘘といっても、何が真実かを判断するの
が難しいので、私は余程のことのない限り、信じることにしている。しかし、何が真実であるかを確かめもせずに、単に見か
けだけで判断する人もいて、人の言うことを真に受入れなくなってきた。その時、その人の考え方のプロセスを私なりの論理
で考察してみると、その人の物心ついた頃からの癖(性格)である場合も結構あり、あまり成長していないと思える場合が多
い。これは人間の人格形成で社会教育がうまく機能していない結果であり、家庭・学校教育の問題でもあると言える。

6/4  先日、読書用眼鏡を購入した。これで運転用、日常生活用、読書用と3種類の眼鏡を使い分けることとなった。5〜6
年前、法律系の資格取得の勉強を始めた時、目が異常に疲れるので、それように購入したのが使い分けの始まりだった。
歳と共に目の機能が低下して、その場合に応じて眼鏡を選択することとなったのだが、正しい視力でないと見誤りによる間
違いが多くなるのである。車の運転の時は、視界内の風景の他に車の周囲の状況をイメージとして頭に描いておく必要があ
るし、読書等で細かな文字等を見ている時も頭に中でイメージを作りあげておく必要がある。目の疲れが多くなると、それら
のイメージが正常かつ正確に作れなくなるのだ。特に思い込みによる取違が多くなってしまう。でも、正しく見えていても、勘
違いをする場合がも多くあるので、常に平常心でよ〜く観察して正しく物事を把握しようとする心構えも必要である。

6/12 先日、ある士業の専門業務研究会の打合せ・懇親会に参加した。本年度の研修内容等の打合せであるが、以前に
比べ進展が見られた。専門分野での知識・技能を向上させることで顧客ニーズをとらえていく必要が法務系士業には必要と
されているが、行政改革・社会情勢の変動によって今後大きな変革が予想される。既得権など、もはや通用しないといえ
る。特に誰でも作成できる申請書類だけを独占的に牛耳っているのでは大きな弊害と勘違いが生じている。主体となるべき
ものは、行政でも士業でもなく、その恩恵に与る国民であるからです。高齢者医療制度や年金制度で解るように、国民不在
の行政施策では国民の理解は得られない。現在多くの法務系士業があり、それぞれの専門・独占業務があるみたいだが、
それらを総合的に把握してより適切な判断をなすべき場合が多くある。垣根や弊を作っては国民の目をごまかしているよう
に思える。

6/17 先日、パソコンのCPUを最新のものに取り替えた。前のCPUでは能力がいっぱいで時折フリーズして動かなくなること
があった。省エネタイプでキャッシュメモリサイズも大きいので快適に処理ができるようになった。パソコン自体の処理能力も
断然良くなっており、全体的なバランスが良くなっていた。人の能力もそうだが、ある一面だけが良くても全体としてまとまり
がなければいいと判断されない。苦手なものや不得意なものがあってもいいが、そのことを常に認識してそれを克服していく
ことが大切である。歳を取るにつれて、身体的・精神的能力も衰えて、自己中心的になるからなおさら自己鍛錬に勤める必
要がある。それに社会のいかに貢献できるかも考えていく必要がある。また、社会のバランスも大切である。社会を構成して
いる人々の認識・対応も文明の発展と共に変わりつつあるが、文明の一面に固着して、オタク化するか、情報ネットに依存し
すぎている。調和のある社会を目指すのは難しいかもしれないが、幸福と調和を重んじて進んでいって欲しいものです。

6/23  物騒な事件が続いているが、ふと、ヨルダンにいた頃を思い出す。ある朝、勤務先である火力発電所にいくと、多く
の職員が入り口で足止めを食っていた。一人の警備の兵士が銃を空に向けて乱射していたのであった。事情に詳しいヨル
ダン人に聞くと、入隊間もない兵士でホームシックと報酬が少ないための暴挙であった。ヨルダン人の大半はパレスチナ人
であり、ヨルダンにはこれと言った資源も産業もないため、多くの人々は国内外の大学や専門学校を出て、出稼ぎで生計を
立てていた。外国で医師免許をとってヨルダンで開業する人も多くいるため、当時の新聞には高校の時の統一試験の点数
で開業制限している旨の記事もあった。でも、彼らは富める者が貧しい者に施しを与えるのが当たり前の社会のため、これと
言った暗さは感じられなかった。宗教的な結束が強いため、彼らの中に入ると暖かく迎えてくれるが、彼らの宗教論を永遠と
聞かされるにうんざりしたことがある。

7/01 学生の時、春休みの1ヶ月間、商品取引専門紙のアルバイトをしたことがある。商品取引所での各商品の取引データ
等を集めたり、印刷の活字を差し替えたりしていた。商品価格は需要と供給によって決まっているが、そこには予想生産量
と需要とを見越した投機的な駆け引きが多く見受けられた。今の石油相場や穀物相場と同じであるが、今の相場は巨大ファ
ンドの数の論理のため、実際の価格とかけ離れ、世界的なインフレを呼び起こしている。経営戦略も同様であるが、数に勝
るものはないのが現状で、富める者はなおいっそう富める様なメカニズムになっている。そこには、政府機関等の価格調整
のメカニズムが働かず、国際的な協調や節度に頼るしかないが、今の現状ではどうすることもできない。国際的なグローバ
ルでの経済施策とその実行が必要であるが、どの国家も人気取りのリーダーの元では感情的な思索に流されているとしか
いいようがない。でも、ガソリンはどこまで上がるのか?

7/04  最近偽装が問題とされ、消費者にとっては大変ゆゆしき事態ですが、偽装の根源は行政の在り方ではないかと思
う。我々の選出した議員によって制定された法律等でなされ、いかにも正当なものと思われるが、そのやり方におおいに問
題がある。特に、特別会計の対象になっている事業部門に関しては、透明性がなく、行政の外部団体となっている部門は、
ある意味、偽装の温床とも言える。また、公務員の業務に対する姿勢も大きな問題となる場合がある。それは責任と使命観
である。ただ、法令等に規定されている業務をやるだけでは、現状の公務員の報酬・能力と費用対効果して、無駄と浪費と
しか言いようがない。競争原理が働いて効率とよりよいサービスがなされてるべき業務に、俗に言う「お役所仕事」で偽装さ
れたのでは、物価高で喘ぐ我々庶民は一体どうすればいいのか?

7/9  地球温暖化対策の一環としてCO2排出削減が地球規模の目標とされつつある。環境問題としての温暖化対策は必
要である。地球上の温度分布の変化により、異常気象がこれまで以上に発生し、生活環境が大きく急激に変わりつつある
からである。しかし、数値目標を定めて削減を進めていくというけど難しい問題が多くある。省エネは進みつつあるが、全世
界的な産業の発達とともにエネルギーへの依存は進み、さらにエネルギー消費が加速される。環境問題はバランスの問題
で、人々の基本的な生活と産業とのバランスの問題でもある。急激な変化によりバランスを崩して、それが地球規模のレベ
ルに達したのであるが、それは必然でもある。CO2排出削減はやらなければならないが、それも一時的なビジネスの一環
で終わらないことを望むしかない。大量生産・大量消費の経済社会では「もったいないの精神」はなかなか浸透しないからで
ある。

7/17  毎日暑い日々が続き、正常な思考・判断ができない状態が出てきている。人は一度にやれることには制限がある
ため、暑さというストレスの中では、余程集中して行動する必要がある。暑さで肉体的な疲労も大きくその集中力も普段より
薄れている。また、熱中症(脱水症状)やメタボで脳血管障害等が多く発生する時期でもある。二十数年前にヨルダンにいた
頃、仕事は朝の6時から14時だが、夏場だけサマータイムで1時間繰り上がった。暑い国だから午前中の涼しい時期に仕
事をやろうということで、毎日、仕事から帰って夕方6時頃まで寝ていた。日が暮れると湿度が低いため涼しく、アパートから
街中まで歩いて買い物や食事に行っていた。日本の場合、多湿のため夜も蒸し暑く、ヒートアイランド現象でなお一層蒸し暑
くしている。こういう時ほど、冷房機器にたよらず、ゆっくりと涼を楽しむ時間を持つことが必要である。そして、ストレスをため
ないことが大切である。

7/20  人は自己犠牲によって他人を助けれるかという問いに関して、「ノー」と言わなければいけない。それは弱者の立場
が解らない人が多すぎる為であり、理解しようともしないせいでもある。特に公務員に関しては、その身分の安定から、自ず
と保守的になり、知らずに傲慢になるケースが多く見受けられる。それは国・地方公共団体等の行政が弱者の立場が解ら
ないというか、知ろうとしないためでもある。行政には金がかかるがその大半は公務員の給与等であり、また、行政関連事
業にかかる業者等への費用でもある。そのような金の流れは一度できてしまうと余程のことが無い限り変わることはない。し
かし、その金の出所も借金財政のため破綻の危機に追い込まれる。でも、それらの状況は一般国民には解らないが、明ら
かに大きな負担は国民にかかってくる。何が健全であるかをもう一度根本的に考え直す必要がある。

7/23  教職員採用に関しての不正で問題となっているが、昔から公務員採用に関しては公然と縁故採用が存在ていた。
職員に試験組と縁故組があり、仲間内で差別的な認識もあったりするが、法律の影響(競争試験での採用の規定)で縁故
採用なるものは表面化しなくなってしまった。でも、あるのは間違いはない。何かと理由を付けては競争試験以外の採用は
存在している。そのことは公平で国民に尽くすべき立場の公務員(その所属する組織も含め)が何かしら不公平な立場で物
事を処理していることでもある。職業モラルに関しては、私の経験上、公務員並びに公務員に準ずるものが一番悪い気がす
る。それは個々の公務員の問題というか、組織的な問題の場合が多くある。外国における外務省とODAについても同じこと
が言える。また、地方公共団体においても、地域と中央との権力関係による公共事業においてもいえる。透明性がないのが
一番の問題なのだが、「清き水には魚は住めない」という論理である。

7/31  WTOの交渉が決裂して、南北問題が表面化した形となったが、WTOの存在価値は意外と大きい。独立国家を他国
が牽制するのは武力では難しいが、経済制裁では簡単であるからである。そのため、一定のルールがWTOでの交渉で決ま
られる。今の物価高は投機起因のインフレであるが、自由経済を基調とする国々ではその統制も難しく、世界的な連帯での
統制が必要となってきている。そこで、市場経済の根幹は思想と同様に自由であるべきかという問題がある。お金の価値は
相対的なものであるが、その存在価値は大きい。その価値も世界各国の人々に均等に影響を与えるからである。その影響
が貧富の差であるが、いくら貧しくても最低限の生活が保証される必要がある。その保証があって始めて、基本的人権が保
証なされる。物価の安定こそ急務の課題である。また、経済状態の不安定さが更に投機市場への資金の算入を呼び込み、
資金の正常な流れを阻害しているとしか言えない。

8/04   小学校で習った国語に関してはあまり好きにはなれず、成績もよくはなかった。それは日常的に話している言葉に
対して興味を持てなかったのだが、中学になってから習った文法や漢文に関しては非常に興味を持った。それは言葉の持
つ規則性やその歴史に関してであった。歴史に関しても現代文で書かれている解説文より、当時の文書に接する方が好き
になった時期もあった。古文を現代文に訳して理解するより、古文そのものを感覚的に理解する方が面白く思えたからであ
る。言葉はその言葉の発する音によって感覚的に理解して、人類がその言葉を発達・変化を遂げていた経緯があるからであ
る。物事を論理的に考えようとした場合、日本語より英語で考えた方がいいと思う時期もあったが、それは単に論理的な書
物が日本語より英語ものをより多く読んでいた為でもあった。言葉の持つ概念が明確な方が、いろいろな意味を含む曖昧な
日本語より使い勝手が良かった為である。でも、それは単にあまり日本語を真剣に勉強しなかったせいでもある。

8/13 蒸し暑い日々が続き、物価高と不安定な社会情勢で情緒不安定になりそうである。安定した生活になれてしまって、
今まで通りにやっていれば何とかなるという時代は過ぎた。先行きの見えないし、これと言ったいいこともないと思った方が
いい。日本国政府・地方公共団体も赤字財政で今までと違った政策の方向転換を余儀なくされている。地球温暖化で亜熱
帯気候とも言える気候の中で日本人の気質も少しは変わってきている。我慢強い日本人も、器質的に短絡的になってきて
いるし、真面目でなくなって、日本人らしさがなくなってきている気がする。これも食生活の変貌が大きく影響している。医食
同源もいえることだが、日本古来の作法での心の安定と規律正しい生活によって、心の不安とお互いの信頼を取り戻す必
要があると思っている。温故知新という事も心にとめておきたいものです。

8/20  この物価高ですっかり消費は冷え込んでしまったみたいであるが、まだ、税金の無駄遣いは多く見受けられる。国
民感情からして、働かない公務員への報酬は本当に無駄と憤るのも納得いく。その根幹には、税金等の公金の使い方に問
題がある。予算立てをしておけば、その予算額をどのように使ってもいいという風潮があるが、必要な経費等に予算立てをし
ていないと使えないと言った問題も生じる。それは職務怠慢であるが、そのしわ寄せは立場の弱い人にいく。ある地方公共
団体で非常勤職員への労災保険の適用がなされていなく、通勤災害が生じても何らの保証もされなく、それの是正をお願
いした非常勤職員が退職勧告のような事を言われたという事例も聞いたことがある。今の公務員の組織に大いに問題はあ
るのだが、本当に何とかならないのか? 公務員の職務怠慢への対処は一体どうなっているのか?

8/25 少しは暑さの和らぎ、朝晩心地よい風で秋の気配が感じられる日々が続いている。でも、相変わらす奇妙な天候には
違いない。ガソリンも少しは値を下げてはいるが、国際情勢によってはとんでもない価格になる可能性も残し、相変わらす先
の見えない不安定さが不気味である。北京オリンピックも終わり、その後の中国の情勢によっては日本経済・社会に大きな
影響を及ぼす不安材料でもあるが、人口が多い分、その富裕層の動向がここ数年の注目すべき動向である。日米貿易よ
り、日中貿易・交流での日本経済・社会への対応が今後の日本経済の指針となると言える。以前、中国に行ったことがある
が、新旧入り交じった街並みが意外と面白く、大雑把な感じは受けるがそのスケールはでかい。人口の多さのみならず、そ
の広大な土地には多くの資源もあり、まだまだ開発の余地のある。もう少し若ければ中国大陸で自分の力を試したいが、そ
れもかなわないので、中国語(普通語、その他の方言)でも覚えたいものである。

09/01 日本人という民族は思っている以上にユニークな存在かもしれない。それは意識しない二面性があるという点であ
る。一つは統一を好むと言うことと、もう一つはその体制への批判的文化を楽しんでいる点である。そこには、体制への調和
と自己主張の融合があり、不満をそれぞれの人生観で昇華していくという文化があった。コメディ一つをとっても、国によって
その文化の違いよって大きく異なる。テレビ番組をとっても、米国と英国でも大きく違っている。同じ英語圏であるが、ショー
的な米国に比べ、英国は皮肉ぽいユーモラスな面が多く見受けられる。それは対等な立場での自己主張ができるかどうか
の違いでもあるが、そういう点では日本は英国に近いと言える。しかし、アニメ文化に象徴されるように日本の場合は、造形
美での表現力に素晴らしいものが多くあり、それは多くの国々に多くの愛好家を育てた。それに対して、日本の国の体制は
開発途上国以下のレベルで、隠れた汚職・贈収賄等で、間違った既得権維持のための奇策が横行しているのは残念であ
る。

09/06  信頼を得るには大変な努力と時間が必要だが、一瞬で失ってしまう。政府認証とか、老舗の品だから安心で信頼
できるといったことはなくなってしまった。信頼には思い込みの要素が大きい、人と人との信頼関係もそうだ。日本人は面と
向かって思っていることを言わないので、本当に信頼されているのかが不明な場合も多い。「俺のやり方でやってきて、それ
に対して誰からも非難も苦言もないから、やり方が正しい」と思っている人も多くいる。その人に人を引きつける求心力があ
ればいいが、何かの事情で窮地に追い込まれ独りよがりなことをやり始めると状況は急変する。今まで信頼関係があったと
思い込んでいたのが、実際はある種の思いやりであったため、その思いが「鬱陶しい」に変わるからである。人は皆自分の
描いた物語通りに人生を歩みたいと思っているし、その中に他人を参加させたいと思っている。しかし、自分の生き方にも責
任を持てない人は、他人を巻き込まないで欲しいと思う。

09/10  グッドウィルの事業廃止に伴って、労働者派遣の実態が明らかにされつつある。このままでは日本の労働力の衰
退で基幹産業も日本の国力も危うくなる。正常な状態に戻す必要があるが、法律がある以上、先ず法令を遵守する必要が
ある。しかし、関係官庁でまともに業務をしていればいいが、そうでないケースも多く見受けられる。派遣関係の事業者か
ら、真偽の程は定かでないが、取締等の情報が内部リークで関係業者へ先に伝えられたという。そのやり方は、行政協力
で労働局等でいる社労士から、指南役として伝えられるというのだ。また、雇用保険の助成金の受給に関しても優遇されて
受給できるとい話もあった。社労士の立場は企業中心で手続業務・顧問料で生計を立てているだから、仕方がないかもしれ
んが、職業倫理がないのかと言いたくなる。せっかくできたADR制度もこのままでは社労士は関与しない方がいいかもしれ
ない。

09/11  環境問題について整理をしてみよう思い、二十冊近くの本を読んでみた。環境への取り組みが近年大きく様変わ
りをして、避けて取れない課題だからである。問題に対する取り組みは世界的規模のものから、私たちの個々の考え方・生
活態度まで幅が広い。その中で環境に関する法律も、その数を増やし、いくつもの関係省庁が関与して、複雑で解り難いも
のになっている。更に、一国の問題だけはなく、地球規模の影響も考慮に入れた国際協定も制定されている。地球温暖化
による気候変動や、化学物質による環境ホルモン等の問題など対応できない問題点も多く残されている。また、有限である
資源の枯渇問題や加工された資材・物質等の処理・再利用といった問題も多くある。これらのことを問題ととらえ、どう解決し
ていったいいのかを何世代かけていく必要がある。科学技術の進歩によって、より合理的で適切な解決方法が見つかるか
もしれない。そのためには、子孫にこれ以上悪くならない環境と希望のもてる社会を残して行くように努力が必要である。

09/15 最近、図書館を利用することが多くなった。いくらインターネットで情報が入手できると言っても、知識として書籍を見
て理解したいためです。でも、インターネット上でのWebにての通信教育を受けることにした。新しいことを理解するには、先
ず覚えることが必要で、視覚・聴覚等の感覚をフルに使えば、物覚えの悪くなった私でも何とかなるかと思っているからで
す。講義は何時でも受講出るが、一方通行で質問もリアルタイムできないのがちょっと不満だが、その分知りたいという欲求
が出て、書籍での納得が自分なりにできる。講義を受けるのは、講師、その人の人生観に共鳴してファンになり、その生き
方・考え方に浸ってみるという体験をしてみたいからである。それには信頼関係が必要だが、今の学校教育ではその信頼関
係も築けないようになってきているし、家族や企業での人間関係も同様である。必要な知識は単に世渡りのためのハウツー
ものになってきているような気がする。

09/23  先日の集中豪雨で自宅に部分的に雨漏れが生じたため、原因究明とその措置をおこなった。増築・改築等を繰り
返しているため、建物の構造上歪な箇所があるためだった。10本あまりのコーキング剤をホームセンターで購入して原因箇
所に補修をおこなった。コーキング剤の色はそんなに多くはないが何とか目立たないようにできた。昔、冷凍設備の設計・施
工をやっていた時は、コーキング剤はよく使ったが、その中に含まれる溶剤の臭いには未だに慣れない。化学物質は微量で
も人体に何かしらの影響を与えるのは事実で、個人差はあるが過敏な抗原抗体反応も生じる。化学物質のみならず、精神
的な不安定状態でも疑似的な症状も現れる。楽しく生きていれば、それなりの抵抗力があるはずだが、不安定要因が多い
現在社会では、あらゆるものが有害要因となり得る。ほどほど福祉を唱える新総理には、ほどほどのいい加減さがいかに不
安定要素の多いものか解っていなく、国民を馬鹿にしていると言える。

09/28  新内閣の閣僚が早期辞任に追い込まれたが、これも官僚の傲慢が浮き彫りになった事例と言える。日本の政治
は官僚中心でその歴史を築いてきたし、官僚出身者の多くが都道府県知事にもなっている。地方分権を唱えているが、実
質的には官僚制度が色濃く残り、政策の指針は中央から出され、財政配分は中央からの条件付きと言った中途半端形態
になりかねない。それは、政党政治が本当に機能していないためでもある。国民の代表である議員の質並びに行動力があ
まりにもお粗末なせいである。新しい法律の制定に関しても同様なことが言え、国民に本当に必要な法律は、ことごとく官僚
案の法律にすり替えられ、骨抜きで形だけのものになったものも多くある。また、国家予算も一般会計・特別会計を含め、官
僚の手に掌握されているためであるが、本当の国民の真実の声を受け入れないエリート意識の官僚には単に機械的に金を
配分してやっていると言った認識しかないと言える。

09/30  米下院で金融安定化法案が否決されたことで世界的な金融不安がもたらされた。サブプライムローンが発端とな
ったアメリカ金融危機の影響であるが、減速傾向にあるアメリカ経済にとっては大統領選挙での国内の盛り上がりも失せ、
先行きの見えない状態になってきた。米国のことだから、世界的な金融市場の回復の提言により、日本を始め欧州等への
金融等の協力を求めるのは必然と言えるが、これによりポリシーを持たない日本政府は大きく振り回されるはずである。根
本的な問題を前倒しにして、人気取りに走りつつある各政党は、目前に近づきつつある総選挙での策略で実行もされないマ
ニュフェストを掲げその場限りの釈明にも似た言い訳を叫ぶにすぎない。国民の関心が政治から離れたというか、国民の声
に耳を傾けない政治家に嫌気をさしているせいであるが、莫大な借金財政・年金・医療・雇用問題だけは時間をかけていい
からじっくりと解決に向けて前進して欲しいものだ。

10/03  補助金を使った地方公共団体の発電システムの不良等で補助金返還等の税金の無駄遣いが表面化している。こ
れはあまり実務経験等のない研究者(工学部だけど技術者ではない)の傲慢さの結果と言える。十数年前、あるメーカーで
大手企業との共同開発である製品(システム)をおこなったことがあるが、相手側の担当者は工学博士号を持っていたが、
開発を実験検証のような感覚でいたため、実際の商品化において色々とトラブルが起きた。「やってみなければ、そんなの
解らないだろう」ということをその担当者はよく言った。製品仕様は技術者として絶対保証しなければならないものだが、製品
化して、その内容に不確定要素を残して、やってみなければ解らないというのは、ある意味顧客を馬鹿にしているとしかいい
ようがない。大学等の研究機関の研究者を非難するつもりがないが、あまりにも現場技術者の努力を知らないのが問題と言
える。理論と技術の違いが解っていないとも言える。

10/08 今年のノーベル賞の物理学・化学部門の受賞者に私の出身校の名前が出ているので、なんだか不思議な気持ち
になる。2001年に化学部門で受賞した野依博士は、学部で構造有機化学の講座を受講したことがあり、私が学生時代のと
きの博士の印象と受賞時の印象が大きく変わっていて時の流れを感じた。私の学生時代は、理学部の物理学科には素粒
子論に関する多くの研究者がいて、講義等で色々と感銘を受けた記憶がある。ある著名な物理学教授の授業を2年の時受
講したが、講義の始めに受講生に、この講義を英語でやるか日本語でやるかを聞いたことがある。結局、英語でやると理解
が不十分なことが多いと言うことで日本語でやった。また、ある物理学の教授は、日本語で講義しながら、板書は英語だけ
で講義をおこなった。外国の大学・研究所で博士号履修・研究を行った研究者が多くいた為でもあった。基礎科学の研究の
成果は、なかなか見えた形で出てこないが、その成果で大きな科学技術の発展が期待されるので、国策的に科学者育成を
推進すべきと言える。 

10/15  不安定な金融市場の為、株価が乱高下している。株価は取引場にての売買で決定されているが、それが貨幣額
で表されいるから厄介である。その貨幣額とは経済価値で、価格を示すものであるが、その価格は適正な市場において適
正に形成されるべきであるが、金融市場のような不完全市場ではその適正さを欠いている。その不完全市場での価格形成
が、社会の基幹となるべき必需品への価格形成に大きな影響を与えるため、国策としての健全な経済施策がなされず、未
だにバブルの影響から抜け切らないでいる。経済活動は金の流れであるが、国民所得への不適切な分配等のため、所得
に関する二極化が大きく進み、国民全体的な活力を弱くしている。経済価値の判断基準に、公共性や協調性等への配慮が
必要であるが、国並びに地方公共団体への信頼性が薄れ、感覚的で快楽的な嗜好傾向が多くなってきている。つまり、愛
され、信じられていることを実感できない人々が増えてきているためである。

10/17 信じていいものか?それとも初めから信用できない者として接するかを切実に考えることが多くある。それは本人の
いないところで悪口を言っているのを多く見かけ、更に生きていく為に、他人はその踏み台になるべきだと考えている人が多
くいることである。信頼関係によって作り出される人間関係も、この不景気でギクシャクしており、信頼すること事態が無意味
と思えてくる。困っている時こそ、お互い助け合い協力して困難を乗り切っていく必要があるが、お互いいのコミュニケーショ
ンがうまく機能せず、行き違いも多くある。その一つに「思い込み」があるが、これも自分勝手な物語を他人に押しつけるもの
であり、そこに他人を思いやる気持ちがあればいいが、小さな親切と思っていることも大きなお世話(鬱陶しさ)となりかねな
い。でも、生かされていることに感謝の気持ちを常に持ち、「有難う!」の言葉だけは忘れないで生きて欲しい。

10/23 全世界的に景気の後退が見受けられるが、先進国がいくら協議してもなかなか打開策は見つからないようだ。経済
学という理論では説明できない状態が多く、国策としても、共同体としての国際的施策ももはや通用しないように思われる。
経済学で言う「流動性のわな」といった様なスポットにはまり込んだみたいだ。先行きが見えないだけに、投資等に向けられ
る金の流れの奇妙な動きで、市場相場を予想のつかない動きにしたみたいだ。1920年代の世界恐慌まではいかなくても、
それに匹敵する金融恐慌が訪れている。政府等の公的援助による銀行へのバックアップも積極的に行われているが、貨幣
に対する信頼性が為替相場という市場を介しているため、複雑なものにしているようだ。貿易による収支も、多くの企業の事
業計画では想定できない状態になり、大企業はリスク回避から、世界規模的な収支を念頭に事業を進めているようだ。日本
国政府の経済対策はどのようになるのか? 景気回復と称して、一部の利益のための税金のばらまきはやめて欲しいもの
だ。

10/28 経済学では、金利、投資、マネーサプライ等の相関関係を簡単なモデルで説明している。預金利率と投資による還
元利率との得な方に金が動くようになっているが、その場合の利率は常にプラスであり、マイナスはないという前提である。
しかし、預金にしても実質価額(価値)は物価上昇により下がることもあるし、投資による還元率にしても、金融市場での動
向によりマイナスもあるし、その金融商品自体の元本保証についても100%ではない。そのため、会計学では価額査定に
おいて原価評価を行う場合もあり、企業の保有資産評価も大きく乱高下をして、その存続の保証も危ないところも多く出てき
ている。金融市場の存在を悪く言うのではないが、巨大ファウンド等のよる市場操作や異なる貨幣経済域間の為替相場の
乱高下が、マネーゲームのようになっている。そのためか、ゲーム理論がもてはされるのは解るが、国民のための経済施策
を考えて、金融市場の安定化と雇用対策を早急におこなって欲しいものだ。

11/01 日本国憲法に、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとある。この条文は国は個々
の個人に対して具体的、現実的にそのような権利に対して義務を有するものでないらしい。また、恩恵を得るには、国等に
対して手続など行う必要があるし、行ってもすべての人がその恩恵を受けるものではないらしい。国等の福利厚生に関する
政策がこれにあたるのであるが、財源の問題から多くのものが削減されようとしている。でも、一番の問題がそれにあたる公
務員等の意識であると言える。すべてだとは言えないまでも、決まった時間に役所にいれば何もしなくても報酬が得られる
システムになっているので、仕事をやるだけ面倒なことに巻き込まれるといった認識が多くの公務員等に見受けられる。生
活保障の面で優遇を受けている公務員等が最も憲法25条の恩恵に預かっているのだが、財源の一番無駄使いと言える公
務員等のシステムを変え、競争原理が適切に働くシステムを構築する必要がある。  

11/05 米国の大統領選挙で強いリーダーシップをかもし出したオバマ候補が選ばれた。キャッチフレーズのCHANGEから
は今後の米国の大きな変革が期待できそうである。この変革を日本では期待できないと思っている。その大きな障害になっ
ているのは官僚組織とその体質である。行政体制のみならず、立法体制もその掌握にしている官僚組織は複雑かつ巧妙に
構築された体制を築き、主張のない議員集団の生半可な施策では根本的な改革が期待できないからである。社保庁の実
態の一部が暴露されているが、そのようなことは他の多くの省庁でも同じようなものがある。公表されないというか、解らな
いように隠されている部分が多くある。それらの多くは利権に絡むものであるが、法というベールのマスキングがされ、実態
を知ることも、法的手段による改善も難しいものにしてる。それをよく解っているのが、日本人より外国の政府関係者と言え
る。最友好国の米国が大きく変わろうとしてる。でも、日本はいつまで低開発国のような官僚独裁国家を続けるのか?

11/08 価値基準に、金本位制と土地本位制とが考えられるが、これは金も土地も不変であること(絶対性)に由来して物差
しにしているのだが、その価値単位が市場により常に変動しているから、厄介な問題が生じている。経済活動の根幹は経
済価値の移動にあり、経済の活性化は、物の売買や役務の提供等が増えることと言えるが、その経済価値のとらえ方が多
種多様だから、経済状勢の分析・予測を難しくしている。減税が果たして景気回復になるか、一時的にはなる場合もある
が、根本的には国の経済活動の基盤にある日本の労働者(消費者)の経済力の強化によると言える。現状での企業経済
活動では価格競争による経費削減による人件費の削減が不可避であるため、正規社員と非正規社員との二分化と所得の
格差が大きく進み、日本経済全体としての後退が見受けられる。ここで、価値基準を国民の経済力として判断して政策を進
めてはどうだろうか?国民によって国が形成されており、国によって国民があるのではないからである。

11/11 先日9日に行政書士試験が行われて、試験監督員として立ち会った。後で出題された問題をみていると相変わらず
難しいというか、知識問題の多さに驚かされる。私自身、今まで多くの国家試験を受験してきたが、20〜30代の頃は技術系
の試験が主でこれと言って受験勉強をしたことはなく、試験を受けて今まで覚えた内容を整理していた。でも、最近受験して
いる法律系試験はその対策に受験予備校を利用している。物覚えが悪くなっていることと、時間と体力の限界の為である。
また、受験勉強は資格取得のためだけというより、世の中の流れを知る最もいい手段でもある。去年2種運転免許を取った
のも、自分勝手な運転より、安全運転を一つの作法として身に付ける為でもあった。この歳になると頑固で思い込みが激しく
なるから、何かにつれ、感情的になる。それを冷静に見つめ、後の残された人生を如何に有意義に生きるか。また、社会に
貢献できるかを考えるための一つの手段として国家試験受験もいいと思っている。

11/14  定額給付金による景気回復策がどの程度効果があるか? やっていなければ解らない面も多いが、単に金の流
れを作るための呼び水的ものに過ぎない。財貨・役務への金銭消費は、企業等の予想に反して減少しているのは確かで、
これを活性化することにより乗数効果を狙っての苦肉の策であるが、果たしてこれで金融市場等も上向きになるかが問題で
ある。社会経済状態が不安定で、先行きが見えないため、消費より貯蓄傾向が強くなる傾向が強い。貯蓄が増えても、それ
が投資等に向けられるかと言えば、そうでもない。世界的市場・価格・商品流通等により、複雑な消費経済体制が形作られ
ているためである。その対策として、ある程度の保護貿易策等も必要かもしれんが、日本国政府は外交手腕等の政策能力
がないというか、官僚により形成された内部保守的行政機構がそれらの対応を阻んでいるといえる。今回の策も、与党の総
選挙対策の一環かもしれないが、貴重な税金はそれなりに有意義に使って欲しいものだ。

11/20 元次官とその家族への傷害殺人事件でテロ行為として捜査行われている。でも、普通にいうテロ行為とは趣を異に
している。20年前に中近東のヨルダンに2年程いたが、当時の新聞に世界各国でのテロ事件が多く載っていて興味深く読ん
だ。また、テロ行為の中心的主導者といわれるモスリムについても知った。日本人と違うのは、宗教が生活そのものであり、
社会規範である点である。イスラム教の良いところは、貧しい者への救済であり、アラーの神の下での平等である。この点、
日本における弱者への対応の歴史については、様々な面で偏見と差別にあった。それが顕著になったのは明治以降で、地
租改正に始まる農村の所有農地を失った小作農の増大による二極化だった。平成に入った現在においてもそのような二極
化が始まっている。農耕民族で村社会という共同・共栄を営んできた国民にとっては、崩れかかった生活基盤に大変な不安
と憤りを感じているのは事実である。これに対しては、精神的・物的支援が国策としてなされるべきである。

11/24 動機の解らない犯罪が多く見受けられる。今回の元次官夫婦の殺害事件の容疑者も同様である。これは、社会の
現況で何ら不可解なものでもない。その原因の一つに雇用環境の悪化が考えられる。つまり、労働時間の増加、競争・ノル
マによる精神的ストレス、仕事上の人間関係の疎外感等により、精神疾患が増加しているのだ。うつ病患者の増加もその
一つと言える。雇用環境の悪化は、日本の産業構造の変化に原因がある。経済社会のグローバル化によって、生産拠点を
生産コストの安い海外へ移行した為、多くの投資と技術者等の雇用機会も国外へ移行した。その結果、産業の空洞化と雇
用形態の歪みが日本の経済社会情勢を大きく変化させ、政府の政策をも大きく狂わせたのだ。保護主義が世界大戦の原
因と言われ、自由貿易が各国間で提唱されるが、それは大企業と政府の外交施策の都合と言える。それでは国内産業の
活性化と雇用機会の拡大は図れない。今まで日本の産業と社会を支えてきた中小企業の活性化こそ今の不況を乗り切る
道はないと言える。

11/25  サブプライムローンが破綻したのは、不動産証券の運用に対する見通しが甘かった為である。投資を呼び込む可
能性があれば何でも証券化でき、その証券による配当が通常の金利より良ければ市場における売買の対象にもなる。投資
資金の集める手段としては理想的で、担保的価値ある不動産であり、米国政府の政策的安心感より、多くの投資資金が流
れ込んだのだ。しかし、ローン返済額の上昇に釣り合うだけ、借り主の賃金等の上昇と支払能力等があれば、あのようなサ
ブプライムローンの問題は生じなかった。本来、投資等に回されるべき資金が生産性が伴わない金融市場になだれ込み、
そのシステムの崩壊のため、莫大な不良債権を作り出してしまったのだ。この影響により、日本の不動産市場も、景気後退
のあおりとのダブルパンチですっかり冷え込んで、深刻な景気後退をもたらしている。市場は期待と信頼により形成される
が、今の日本政府は国民からの期待も信頼もない状態にある。さらに、政府施策に対する不信感も顕著になってきている。

11/27 価格は原価性、市場性、用益性等によって決まると言われる。商品やサービスが安ければ需要が伸びるかといえ
ば、そうでもない。つまり、それを必要としている人達がいるか、また、それが有用であるのかも考える必要がある。この点、
経済学の考え方は違っている。それは経済学が主に米国の国策としての経済政策の言い訳として発達していったためだ。
国家予算での予算の分配ではそれなりの説明性が要求されるからである。経済成長率を常にプラスで維持して産業を常に
活性化していくためには、ある程度、国策としての公共事業や産業支援政策は必要なのは確かである。しかし、それは競争
原理の働かない市場のため、ある種の既得権益が形成され、ある意味 産業の活性化を阻害している。日本においても、
強者の代弁者である代議士と既得権益の創設者である官僚は、彼らの既得権を維持するために公金の使い道について都
合の言い訳を言っているしか思えない時がある。

12/02 世界的な不況が深刻化する中、各企業は業績の低下をいかに食い止めるかに躍起になっている。少し前には企業
業績をよく見せようと本業の業績に自己株売買利益を含ませ、株価操作等をおこなって結局は破綻したライブドアーの例が
思い出される。企業等の法人は、本業での利益より資金運用による利益を期待して、本来投資すべき分野への資金をなお
ざりにしてきた。バブルのような投資市場では、相場が急落して上がらないのは想像にもつかなかったのだ。ギャンブルのよ
うかもしれないが、ギャンブルの場合は分け合う合計額が決まっているから、問題は少ないが、相場の場合は全く異なる。
相対的に売買価格を売り買いによって決めているため、予期せぬことが多く起きる。そのため、感情的になり冷静な判断が
つかなくなるのだ。企業等への前向きな投資資金集めで、その投資が適切に使われ、適正な配当がなされるのならばいい
が、それ以上の配当を期待して、投機的になるが厄介な原因である。さらに、巨大ファンドの目的はその持ち金を増やすこと
だから、投機的・策略的になるからなお厄介な存在になるのだ。

12/06 一般常識って何?と言いたくなることが多くある。社会常識として決してやらないことを平然と行う人が多いのだ。そ
れだけ信頼できない人が多くなってきた。それは人の良い私にとっては困っている人は助けたいという善意な気持ちも無く
し、そのような善意を持つことが厄介なことに巻き込まれしまうという不安を持ってしまう。他人は自分の都合のためにあるの
だと思っている自己中心的な人達が多いからである。その原因の多くは、その人達の幼児期・少年期の人格形成時期に問
題がある場合がおおく、社会不安がその傾向をさらに助長している。人類はその長い歴史の中で生きのびていくために、多
くのことを集団社会の中で学ぶ(まねる)行為により今日の人間社会を形成してきた。つまり、人類は社会性の強い生き物
である。しかし、いままさに人類が築き上げてきた社会規範(常識)が崩れようとしているという危機感を抱くのは私だけだろ
うか? さらに社会保険庁等の国家機関の問題や日本政府の短絡的な政策等が、日本国の存亡の危機のように思えてし
かたないのだが。

12/10 先日近くに大型ショッピングセンターがオープンした。オープニングセールのため、数多くの人々が押し寄せている。
不景気が嘘のようであるが、半径五キロ圏内にショッピングセンターが数カ所になり、不景気と各店舗の競争によりいくつか
の店舗の閉鎖も予想される。それにつれて、地域に密着した店舗の活気が無くなっている。高齢化社会になって、生活圏内
の狭くなった年寄りにとって、日頃慣れ親しんだ店が無くなるという現象も出てきている。核家族化とともに地方並びに都市
部においても高齢者だけの住居も多くなっている。年を取ると頑固になったり、病気等によりコミュニケーション能力の欠如に
より、なお一層精神的なストレスを感じる場合も多く、場合によっては認知症の発症率も大きくなる。オレオレ詐欺ではない
が、判断力の低下により犯罪に巻き込まれたり、起こしたりする場合もある。今の政府では社会福祉予算の削減が予測さ
れるため、地域的な福祉活動として高齢者への暖かい声かけと支援等の活動を活発化する必要があると思う。

12/15 世界的な景気悪化のため、雇用情勢も悪くなり治安等への不安が懸念されている。民間企業にとっては生き残りを
かけて日夜努力を重ねているが、最も財政が悪化している国・地方公共団体等ではその努力がみられない。 それは公務
員の報酬と業務に関しての意識が欠如しているからである。彼らと議員等の報酬等はあらかじめ予算として決められ、民間
のように収益が減ったからといって賃金・賞与等が下がることはない。逆に彼らの属する労働組合等は、俺らが消費しなけ
れば景気が良くならないと言って一層の賃上げを要求するかもしれない。ここで、公務員等の存在価値は一体何か?を我々
国民がもう一度考え直す必要がある。彼らは規則等に決められたこと以外はやらないし、本来業務もやらない場合もある。
また、彼らがやった不祥事を隠すために、責任の所在を明らかにしない組織にしてしまっている。社保庁等の問題も重なっ
て、国民不満は憎悪の念に変わりつつある。これからは国・地方公共団体の責任の所在とその説明責任をなお一層求めら
れる時にきている。

12/19  先日母の脳のMRI検査の画像を見た。年の割には萎縮細胞はなく、随分前の脳内出血の跡がみられたが、現段
階では問題の無いものであった。脳はそれぞれの部位にそれなりの機能があり、異常があればそれに対応した心身の異常
となって現れる。しかし、人間の記憶等に関してはその記憶の形成過程を考えれば、様々である。ある人は視覚的要因で
記憶していたり、また、聴覚的要因で記憶していたりする。また、恐怖や恥ずかしい体験での記憶は深く記憶の残り、場合
によっては障害となって現れることもある。人類はこの記憶のパターンの多様性が創造性を生み進化の源となったのが、現
在社会では独特な不安感が多くの人々に蔓延している。それは文明の発達による価値観の多様性が、それぞれの人にとっ
て仮想であって実感できていない点にある。多くの場合、愛情と言っても溢れる情報の渦にあって、本当に実感でき納得で
きるものは何かを前向きに考られずに生きている人が多くいる。

12/22  仕事柄、いろいろな行政法規について勉強するので少しは行政の仕組みが解ってきた。最近特に興味を持ってみ
ているのは、都市計画等の土地等の運用についての法令である。この分野にも環境保全に次いで、障害者・高齢者等への
配慮がなされるようになり、福祉的要素が取り入れられるようなった。しかし、国策として、安価で快適な住居環境の提供に
ついては一歩後退してしまっているようだ。景気後退によって職を失うと同時に住むところも失う人も多く発生し、難民化して
いる。また、介護等が必要な高齢者等も介護等に適した居住環境を必要としているケースも多く出てきている。物理的に適
応した居住環境があれば良いというわけでもなく、社会的行政的等の環境条件も必要となってきている。安定した国民の生
活の基盤となるのは、心安らげる居住環境であり、地域相互協力等が得られる地域環境である。社会的弱者が自立して生
活を営める環境作りを、今後の社会の動向を踏まえて施策として総合的にやって欲しいものです。

12/25 この一年を振り返ってみて、「変」(CHANGE)の年だったと言えます。それは起承転結の「起」の部分で、これからの
大きな変化の一端であると言えます。経済で言えば、信用経済の破綻が浮き彫りになり、それが正常な市場経済へと波及
して各国等の経済政策にも大きな悪影響を与えてしまった。そのことは国民に対して政治への不信感をもたらす結果となっ
てしまった。回復の兆しどころか、ますます悪くなる一方の経済状態に対して、巨額公的資金の投入により金回りを良くし
て、経済活動の活発化を全世界的規模をおこなおうとしているが、それも妙案ではない。それは信用経済の破綻の原因とな
った強大ファンドや証券化商品の存在等が改善されないためだ。それには国際的にこれらに対する何らかの規制・統制が必
要となる。でも、投機的なマネーゲームの防止は自由経済体制では無理で、各国間の利害調整と超大国の国政をも動かす
ファンド軍団の下では、終局的には日本国政府のイエスマン政治家ではまた「貢ぐ君」の地位で終わりそうである。

12/28 不景気の中、収入が減りどうやってこの苦境を乗り切るか? 一般企業等にとっても将来の収益の見通しが立たな
いだけに対策は難しいものとなっている。このような時直ぐコンサルタントとか経費節減に関する専門家に頼るが、頼るとして
も先ず、自己の置かれている現状を知って納得しておく必要がある。経費節減とか経営戦略と言ってもそれぞれの企業等の
生い立ち・環境条件・経営資源等によって様々で一般的な手法では立ち行かない状況となっている。日頃の忙しい状況で
はなかなか難しいかもしれないが、今までの自分の取り巻く歴史をじっくり振り返って考える必要がある。その中でいろいろ
な人達や企業等との関わりも見えてきて本来のあるべき姿も見えてくる。現在は過去の積み重ねであり、明日は現在・過去
の希望・努力の積み重ねの結果である。競争社会でもあるが、協働・共同社会でもあり、相互に依存して助け合って、社
会・経済は成り立っている。地域的なつながりをより強固して、足元を明るくして地域の活性化を念頭して、地域貢献を重要
視すべき時にきている。




トップへ
戻る


久住事務所